荘川の地に咲いた、一本の奇跡の桜。
そして、その桜に人生を捧げた、ひとりの青年。
御母衣ダム建設によって移植された「荘川桜」・・・
その前に現れたのは、静かに佇む青年・りょう。
彼が出会ったのは、人ではない“桜の精”さくらでした。
太平洋と日本海を桜でつなぎたい・・・
そんなひとりの車掌の夢は、やがて二千本の桜となり、本物の「さくら道」として、この地に遺されていきます。
実話をもとにした、切なく美しいファンタジー。
「桜を守った人」と「人を見守った桜」の物語を、ぜひお聴きください。
【ペルソナ】
・さくら(500歳/CV:岩波あこ)=荘川桜の精。復活した荘川桜の下でりょうと出会う
・りょう(34歳/CV:岩波あこ)=白鳥出身の路線バス車掌。さくらに惹かれていく
【プロローグ:4月末/荘川桜/開花】
■SE/小鳥のさえずり/湖面のさざなみ
「おかえり・・・」
1970年4月。
10年前に移植された荘川桜が初めて薄紅色の花をつけた。
一重咲きのエドヒガンザクラ。
ダムの底にある、寺の境内にあったときの姿そのままに。
桜の前では、ダムに沈んだ村の人たちが寄り添って泣いている。
その中にひとり。
声にならない声をあげて、感極まっている青年がいた。
もう1時間以上もずっと私の方を見つめている。
「よく・・戻ってきたなあ」
そればかり繰り返している。
うふふ・・面白いひと・・
私は興味がわいて、ゆっくりと彼の前へ。
つい悪戯心が働き、声をかけてしまった・・・
「あなた、中野(なかの)の人?」
「え・・・」
・・・驚いた・・私が見えるの?
彼は視線を落とし、私の瞳を見つめる。
「きみは・・・」
「私・・・?私は荘川桜の・・
・・・櫻守・・かな」
「桜守・・・
えっと、ぼくはリョウ。
家は中野じゃなくて白鳥だよ」
「お隣ね」
「バスの車掌なんだ」
「あら。珍しい」
「名古屋から金沢を結ぶ長距離路線さ」
「そう。
じゃあ、太平洋と日本海をつなぐお仕事、ってことかしら」
「太平洋と日本海を結ぶ・・・
・・いい言葉だ」
「私、海って見たことないの」
「え・・」
「そもそも、無理な話だもの」
「見られるよ」
「え・・・?」
「ダムの底に沈むはずだったこの桜だって、
いまこうして御母衣湖を見下ろしているんだもの」
「でもどうやって・・・?」
「桜と桜をつなぐんだよ」
「まあ・・・」
「ずっと桜を前にして思ってたんだ」
「なあに・・・」
「こんな、心が震えるような思いを、分かち合いたい」
「まあ・・・」
「ひとりでも多くの人に、この気高い姿を見てほしい」
「あ・・・」
「どうだい。
凛々しくて、大きくて、包み込むような優しさ」
「うん・・・」
「ちっぽけな悩みなんて、くだらないって思えてくる」
「そうね・・・」
「いま世界中でおこっているような争いごとなんて、ばかばかしくなってくるよ」
そう言ってリョウは、目を輝かせた。
花びらは、はらはらと静かに舞い落ちる。
儚げな淡い桜色の風景。
荘川の村人たちはみな、希望に満ちた表情で老木を見つめていた。
【シーン1:5月頭/荘川桜/落花盛】
■SE/小鳥のさえずり/湖面のさざなみ
「さくら、見てごらん」
2週間後。
五月晴れの荘川桜公園。
落花盛んな荘川桜が御母衣湖に花筏を作っている。
車掌のお仕事が非番の日の午後。
足元にリョウがしゃがみこむ。
「これ・・根あがりだろ」
ああ・・蘖(ひこばえ)たちね。
幹の周りに芽吹いた子どもたち。
「ちゃんと芽吹いてるんだ・・」
そうよ。だって生きているんだもの。
「やっぱり・・すごいよ。
命がつながってる」
ちらほらと顔を出した蘖たち。
自分たちはここにいる。
生きているんだ、って主張して。
「この子たちを連れていってあげよう」
目をきらきらさせてリョウが呟く。
「荘川に芽吹いたほかの兄弟たちもいっしょに」
そういってリョウが取り出したのは、小さなスコップ。
蘖を傷つけないように、
土の中の小さな生命をすくい取っていく。
この人は、本当に桜に優しい。
【シーン2:夏/名金線鳩ヶ谷/白川郷】
■SE/セミの鳴き声/バス走行音
それからリョウは、非番になると私のところへやってきた。
蘖や苗木を探して、バス路線に桜の苗を植えていく。
まずは荘川桜に近い、白川郷の鳩ヶ谷(はとがや)停留所から。
「停留所に桜が咲いたら、みんな喜んでくれるかな」
そりゃ嬉しいに決まってる。
春が待ち遠しくなるはずよ。
桜を植えるのはバス路線。
名古屋方面へ向かって。
正ヶ洞(しょうがほら)。前谷(まえだに)。北濃(ほくのう)。向小駄良(むかいこだら)。
そしてリョウの家がある美濃白鳥(みのしろとり)へ。
「小さい子は5年くらいかかるかな。
大きな苗木なら来年には花をつけるだろう」
嬉しそうなリョウの顔。
私を見て、子どもみたいに笑う。
「最近は、バスに乗ってても窓の景色が気になるんだ。
あ、ここに桜が咲いたら、きれいだろうなあ。
長良川のここの堤防に植えたら、美濃の人たちも花見できるかな。
って、そんなことばっかり考えてる」
リョウ、こんな表情するんだね。
桜に夢中になってくれて、私も嬉しい。
「桜のトンネルができたら楽しいだろうなあ」
「リョウ、あなたいくつ?」
「34。
さくらは?」
「私?
私は500歳よ」
「またそういうことを言って」
「だって・・・ほんとだもん」
「ようし、日本海へもつなげないと」
そう言って今度は、荒田町島(あらたまちじま)、城端(じょうはな)、福光(ふくみつ)へ。
すべての停留所には、桜の並木がつながった。
子どもたちもみんな、すごく、喜んでる。
春になれば幸せそうに舞い上がる桜吹雪。
御母衣ダムなんてほんのりピンクに染まるほど。
リョウは持ち前の明るい性格がどんどんヒートアップしていく。
非番の日だけでなく、バスに乗り込むときはいつも
桜の苗木を持ち込んだ。
「はい、停車します」
停留所じゃないところでバスを停止させる。
バスを降りるリョウの手にはスコップと桜の苗木。
リョウがスコップで掘り、運転士が桜を植える。
乗客は微笑んでそれを見守っていた。
気が付けば、桜の並木は、二千本。
名古屋から、岐阜を通り、美濃、荘川、白川郷、金沢、そして輪島まで。
まだ幼い若木たちが作る、小さな桜のトンネル。
それは沿線のひとたちの未来を桜色に染めていった。
【シーン3:春/落花盛な荘川桜】
■SE/小鳥のさえずり/湖面のさざなみ
初めてリョウと出会ってから13年。
名古屋から金沢へ。
太平洋から日本海まで、もう少しで桜のトンネルはつながる。
みんなが期待して待ち望んでいたとき。
リョウと連絡がとれなくなった。
どうしたの?
あんなに毎日、私のところへやってきて。
君の顔を見ないとやる気がでない、って言ってたのに。
私、必死であなたを探したわ。
あなたが植えた桜の花びらをたどって・・・
【シーン4:冬/寒さに耐える荘川桜】
■SE/吹雪の音/病院の部屋
「よくここがわかったね」
「ずいぶん探したのよ」
「すまない。きみに連絡をとる方法がわからなくて」
「荘川桜が散ってしまう前に、なんとか見つけなきゃって」
「ああ、そうか」
「あなた、荘川桜の蘖たちをいろんなところに植えてくれたでしょ。
花びらは私の眷属だから。
開花するまで待って、それを辿ったの」
「そうだったね」
「桜のトンネルは完成したの?」
「うん。
あと少しだったんだけど・・」
「やだ。なに弱気になってるの。
がんばって。早く良くなって」
「ああ・・」
「聞いたわ。
車掌さんの給料だって、ぜんぶさくらのためにつぎこんだんでしょ」
「うん・・」
「桜も大切だけど、自分のことももっと考えて。
私、前にも言ったじゃない」
「そうだっけ・・」
「リョウが桜を植え続けられるのは、
あなたの周りにあなたを支えてくれる人たちがいるからだって」
「そんなこと言われたっけ?
「言ったわよ。
みんながあなたのことを考えてくれるから
リョウも私も、こうしてやりたいことをやってられるんだよ」
「そうだね・・・」
「ねえ、リョウ・・」
「なんだい?」
「私を海へ連れてってくれるんでしょ」
「うん・・・
だけど・・・」
「どうしたの?」
「さくら、お願いがあるんだ」
「なあに?」
「ぼくがもしいなくなっても、桜の並木を植え続けてくれないか?」
「私が?」
「だってこんなこと、さくらにしか頼めない」
「・・・・・・わかった。
いいわよ。そのかわり、早く元気になりなさい」
「ありがとう。
さくらに会えてよかったよ」
リョウは私の顔を見つめて、静かに微笑んだ。
潤んだ瞳に私の顔が映る。
私の笑顔を見たリョウは、安心して、静かに目を閉じた。
【シーン5:春/輪島に咲く桜】
■SE/波の音
「さくら、ありがとう」
「いやね。
私じゃないわ。
あなたの意志を継いだ、いろんな人たちが実現させたこと」
「君がいなければできなかった」
「それは、あなたの周りの人たちに言いなさい」
「そうだね」
リョウが植え続けた桜は、いろいろな人の意志に引き継がれて
太平洋から日本海・輪島まで、しっかりつながった。
毎年春になると、沿線の桜は淡い薄紅色の景色を作り出し、
みんなリョウと荘川桜を思い出す。
金沢の兼六園には、リョウの名前のついた桜まであるそうだ。
うふふ。らしいな。
そういえば、リョウは私の子どもたちひとりひとりに名前をつけていた。
みんな、ちゃんと覚えてるよ。
あなたのことを自分の親だと思ってるから。