今日のビジネスにおいて、生成AI、特に大規模言語モデル(LLM)の活用は急速に進んでいます。金融・保険業界でもその注目度は高く、様々なアプリケーションが検討されています。しかし、LLM単体では学習済みの知識に限界があり、最新情報への対応や事実の正確性確保に課題があります。この課題を解決するために登場したのが、RAG(Retrieval-Augmented Generation、検索拡張生成)です。
RAGは、LLMに外部データベースから検索した最新の知識をコンテキストとして与えることで、応答の正確性と企業内ドメインへの適合性を飛躍的に高める技術です。エンタープライズ検索、チャットボット、コパイロット、社内QAシステムなど、多くの実用的な生成AIソリューションがRAGを基盤としており、「RAGこそが実践的な生成AIソリューションの重鎮」とも言えます。金融・保険業界においても、正確で信頼性の高いAI応答を実現する上でRAGは重要な役割を担っています。
RAGシステムは、LLMの応答生成プロセスに外部知識を組み合わせることで成り立ちます。その技術的な構成要素は「RAG Developer’s Stack」として整理されており、Pandey氏やKalyan KS氏によって提示されています。このスタックは複数の層で構成されており、主なコンポーネントには以下のものがあります:
LLM: テキスト生成の中核を担うモデル(GPT, Claude, LLaMA 3など)。
•フレームワーク: アプリケーション開発を効率化するツール(LangChain, LlamaIndexなど)。
•ベクトルデータベース: 外部知識を格納・検索するための高速類似検索エンジン(Chroma, Pineconeなど)。
•データ抽出・加工: 生データを収集・加工し、ベクトルDBに登録する前処理(Crawl4AI, Doclingなど)。
•Open LLMアクセス: オープンソースLLM活用のためのプラットフォーム(Ollama, Hugging Face Hubなど)。
•テキスト埋め込み: テキストをベクトル化する技術(SBERT, Nomicなど)。
•評価・フィードバック: システムの出力品質を評価・改善する仕組み(Giskard, RAGASなど)。
これらの層が連携することで、「適切な情報を素早く取得し、それを元に高品質な回答を生成する」というRAGの一連の流れが実現されます。特に金融領域では、誤った回答(ハルシネーション)を排除し、回答の根拠を明示することが重要であり、RAGはこの点で効果を発揮し、高信頼・低リスクなAI応答を可能にします。
金融・保険業界では、RAGを活用した様々なユースケースが実証・導入されています。例えば、社内規程や商品マニュアルに基づいた社内ナレッジ検索/FAQシステム。契約内容や商品説明書を根拠に顧客の問い合わせに対応する高度な顧客向けチャットボット。従業員からの質問に答える社内ヘルプデスクAI。社内ルールや法規集を検索して広告・契約書類をチェックするコンプライアンスチェック支援。社内外データを横断検索し、要約レポートや分析コメントを生成するレポート生成・データ分析アシスタントなどがあります。RAGは特に「最新かつ正確な情報」が要求される業務で大きなメリットをもたらし、既に営業支援、広告内容審査、コールセンター対応、不正取引検知などで導入が進んでいます。
RAGが現状を支える一方で、AI分野では次なるステップとしてAgentic AI(エージェンティックAI)能動的にタスクを計画・実行し、目的達成に向けて動ける点で大きく異なります。
Agentic AIのエージェントは、以下の特徴を持ちます:
•自律性: 指示なしに目標へ向けて判断・行動できる。
•マルチステップ推論: 複雑なタスクを分解・順序立てて実行できる。
•ツールの利用: 外部のツール、API、データベースなどを必要に応じて利用できる。
•適応学習: 実行結果から学び、動作を調整・改善できる。
•長期的な目標指向: 単一の質問応答ではなく、より広いゴール達成を目指す。
Agentic AIを実現するためには、RAGに加えて「タスク遂行エンジン」と言える機能が必要です。これには、ゴール達成のためのタスク分割・実行順序決定を行うプランニング、外部機能を利用するためのツール使用・API呼び出し、タスク途中経過を記憶・参照するメモリと状態管理、複数のアクションを調整する実行オーケストレーション、そしてこれらの機能を実装するためのエージェントフレームワーク(LangChain Agents, Autogenなど)といった技術的構成要素が含まれます。Agentic AIは単一エージェントだけでなく、複数のエージェントが連携するマルチエージェント・システムに発展する可能性も秘めています。Auto-GPTやBabyAGIといったデモンストレーションは、Agentic AIの自律的なタスク遂行能力を示しています。
RAGシステムをAgentic AIへと発展させるには、システム設計のパラダイム転換とスキル拡張が必要です。具体的には、ユーザーの質問に答える単発QAからゴール指向のプロセス設計へのシフト。AIに思考や行動を指示するための高度なプロンプトエンジニアリング。外部ツールやAPIをシステムに組み込む外部ツール・API統合。LangChain等のエージェントフレームワークの活用。エージェントの状態管理やループ処理を支えるシステム設計・アーキテクチャの見直し。そして、自律的なエージェントの予期せぬ挙動に備えるガバナンスとモニタリングの強化。これらは「AIシステム開発」から「AIエージェント育成」への大きな変化と言えます。金融・保険分野のように高い正確性とコンプライアンスが求められる領域では、まずRAGで基盤を固め、Agentic AI機能を段階的に導入するアプローチが現実的でしょう。
Pandey氏は、Agentic AIとRAGは競合ではなく、お互いを補完し合う関係だと強調しています。Agentic AIは自律的な意思決定とタスク実行に、RAGは正確で最新の情報組み込みに主眼があり、適するユースケースも異なります。しかし、真に強力なAIソリューションにはRAGの知識活用能力とAgentic AIの自律行動能力の双方が不可欠です。RAGで強化されたLLMが「脳」だとすれば、Agentic AIは「手足」となって現実世界で能力を発揮する、と表現されています。
Agentic AIには、設計・制御の難易度やコスト、まだ技術が成熟途上であるといった課題もあります。しかし、適切に導入されれば、AIを単なるツールから「戦略的パートナー」へと格上げする大きな将来性を秘めています。複雑な意思決定のサポートや業務プロセスの自動化、さらには複数のエージェント連携による組織的知能の実現も視野に入ります。
これらの技術を導入する際は、慎重な計画と段階的なアプローチが重要です。まず、具体的なユースケース選定と定量的な目標設定を行います。次に、回答精度やタスク完了率などの成功指標(KPI)と評価方法を策定し、ベースラインを計測します。AIが参照する社内ナレッジ等のデータ準備と知識基盤構築は成功の土台となります。LLMやベクトルデータベース、フレームワーク等を選定し、PoC(概念実証)プロトタイプを構築します。プロトタイプをテスト・評価し、得られた知見に基づき改善サイクルを回します。この際、金融分野ではセキュリティ・コンプライアンス面のチェックが不可欠です。最後に、PoCで有望なら、対象範囲の拡大や運用ガバナンスを含む展開計画を立案します。小さく始めて素早く学習し、改善を積み重ねることが成功の鍵です。
結論として、RAGは既に実用段階でビジネス価値に直結する「重鎮」であり、Agentic AIは次代の戦略的投資領域として業務の自動化や価値創出の可能性を秘めています。両者は補完し合う関係であり、RAGで情報利活用基盤を固めつつ、Agentic AIの可能性も探るという両軸の取り組みが、将来の大きなリターンと競争力強化に繋がるでしょう。正確性と自律性を兼ね備えたAIソリューションによって、金融・保険業界のビジネス変革が期待されます。