嫌いなものこそ、人生を拡げてくれる先生だったりする
大の運動嫌いだったぼくが、なぜかスロージョグを始めて9ヶ月。そこから見えてきたのは「成長とは何か」という根本的な問いでした。走ることから始まって、長年こじれていた父親との関係まで、嫌いだったものとの向き合い方について考えてみました。
## 今回のお話のポイント
- 運動嫌いがスロージョグに挑戦した9ヶ月の変化
- 1キロ9分から6分台まで、無理をしない継続の力
- コンフォートゾーンを広げることが成長の本質
- 嫌いだったものに価値を見出す体験の意味
- 母親を亡くしてから変わった父親との関係
- 親子関係の修復がもたらした新しい視点
- 「この親を選んで生まれてきた」という気づき
- 成長とは視野を広げることなのかもしれない
## 本編:嫌いだったものが教えてくれた成長の秘訣
こんにちは、あすとろサイコロのきーぼーです。あすコロラジオ9回目でございます。今日も大阪は高槻にあります、あすコロスタジオという名のただの部屋からお送りしています。
今日は2025年7月4日、トム・クルーズの日ですね。6月30日の大祓でデトックスが全然できていなかったことが、こないだのトイレぶっ壊れ事件で判明したので、髪の毛を切りに行って、頭に詰まっている邪気を振り払ってきました。
その帰りにちょっと走ろうかなと思って走ってみたんですけれど、日中のアスファルトの上を走ったらダメですね。普段、朝はどんな気温でも平気ですけれど、日中はサウナを走っているみたいで、ドラキュラが血を吸い取られるみたいに、ぼくのヒットポイントがキューッと吸い取られてしまいました。
今日もあすコロラジオスタートです。
チラッと走っていますって話をして、ちょっと自慢臭かったかもしれませんが、ぼくが走るって言っても、歩くに毛が生えた程度のスロージョグ。1キロ7分か8分ぐらいのペースで、喋れるぐらいの距離で走るんです。
去年、高校の友達、と言っても全然喋ったことなかったんだけれど、トレイルランをやっているということで、ぼくも入れてよと声をかけてみたら、いいよと入れてくれたので、ちょっと走ってみようかなと。今まで走るのがめちゃくちゃ嫌いだったんですけれど、挑戦してみようかなと。
ただ、本当に嫌いだったので、ガチンコでやるわけにはいかないので、いい方法はないかということで、スロージョグというやつを見つけたんです。
1キロ8分とか9分ぐらいのペース、速足で歩くぐらいな感じだけれど、走ると歩くの違いは、小刻みなジャンプを繰り返すということなので、足腰を鍛えるのにいいらしい。
去年の9月か10月ぐらいに始めたんだけれど、最初は歩くぐらいの距離で走っても、しんどかったです。今まで歩くのはちょっとやっていたけれど、走るなんて大嫌いだったのでやってこなかった。でも、ご縁をいただいたので、やってみたんだけれど、1キロ8分走るのも最初はしんどくて、本当に1キロ9分でもぜいぜい言いながらやっていたんです。
こないだサバンナの八木さんのゆる筋トレの話をさせてもらいましたけれど、毎日やってしまうと続かないので、今のところほぼ2日に1回、3日に1回とか、行ける時は毎日とか、週に3、4回ぐらい行ければいいなという感じで。
時間もあまり気合いを入れすぎるとあれなので、1回30分ぐらい。家のこともしなければいけないとかあるので、朝にやっていたんです。ぼくは牡牛座なので、単純作業をコツコツ続けるのはあまり苦ではないので、ゆるい感じでやっていたんですけれど、続けていくと、最初1キロ8分とか9分でぜいぜいしていたのが、だんだん鍛えられてきて、1キロ8分台、7分台、6分台ぐらいまでいったんです。
最近は体調のこともあって、ちょっと戻っている感じだけれど、別に速さを求めているわけではない。日常の健康維持のためにやっているだけなので、だいたい1キロ6分半ぐらいでやろうという感じでやっているんです。
何が言いたいかというと、ぼく、走るのが本当に嫌いだったんですよ。本当に嫌いだった奴が、ちょっとしたご縁で走るようになると、不思議なことに、走らない期間が長く続くと気持ち悪くなるんです。隙間時間ができたら、走ってみようかなって。
もちろん、さっき言ったように、めちゃくちゃ遅いんですよ。今でも遅いんだけれど、走ることを自らしようとするマインドに変わっている自分がいるみたい。これは1年前の自分からは考えられないことで、成長って何ですかって言われた時に、拡大、つまり自分のなじんでいた領域を広げていくことだと思うんです。
自分の安心できる領域を超えていく経験をすることが成長だと思うんです。
ぼくの場合、大した話ではないけれど、めちゃくちゃ走るのが嫌いで、やりたくなかったんですけれど、そこのところ、一人だったら無理でしたね。一緒にやってくれる人がたまたまいてくれたのでできたんですけれど、嫌いだったものに挑戦してみたら、意外によかった。
子供の頃、まったく食べられなかった納豆が、大人になったら好物になるみたいな感覚。あれも一つの成長だと思うんです。自分のコンフォートゾーンを広げていくこと。それも成長だと思うんですけれど、なんか、嫌いなものとか、嫌悪感を示しているものに対して価値を見出すとか、そういうのが成長だったりするのかなって思います。
話が飛ぶかもしれませんが、ぼく、親がいまして。親は皆さんもいらっしゃると思うんですけれども。ぼくは父親とあまり関係が良くなかったんですね。子供の頃も大人になってからも。
母親が先に亡くなって、父親がその後、軽く6年ぐらい経っているかな。配偶者のいない状態で頑張って生きているんですけれど、ぼく、幼少期の関係もあって、親父のようには絶対なりたくなかった。めちゃくちゃ嫌いだったんです。
でも、我々をつないでいた母親がいなくなって、父親と直接接するようになった時に、当然、父親もいろんな努力をしたんだと思うんです。親子関係をなんとかしようと。忍耐強くやってくれたから、だんだんぼくの方でも、嫌いだったはずの父親のいいところを素直に見られるようになったんです。
それも一つの成長かな。視野を広げるということ。今まで嫌いだったものに価値を見出せる。
ぼくにとって、めちゃくちゃ新鮮で、感謝の気持ちに溢れる感覚。この親を選んで生まれてきたって言われているから、なるほど、こういうことだったのかって。今まで見えていなかったいいところを取り入れたいなって、最近そんな風に考える機会を得ました。
端折った話かもしれませんが、そういうのが成長かなって思います。
## 最後に一言
今回も聞いていただき、ありがとうございました。嫌いだったものが実は一番の先生だったりするんですね。また次回お会いしたいと思います。