煽られ慣れてしまった時代に、昭和のあの頃を懐かしく振り返ってみたら
記念すべき第10回は、7月5日の大災害煽りからスタートして、昭和の「どっちやねん論争」を懐かしく振り返ります。ドリフか氷金族か、光GENJIかSMAPか、そして茨木vs高槻の地域愛まで。一見苦い思い出にも意外な価値があったという、物事の多面性について考えてみました。
## 今回のお話のポイント
- マスコミの煽り報道に対する集合意識の変化
- 昭和のテレビ番組「どっちやねん論争」の懐かしさ
- ドリフ大爆笑vs俺たちひょうきん族の派閥争い
- 光GENJIのローラースケートvsスマップのスケボー時代
- 大阪の地域愛とライバル関係の面白さ
- 高槻方式という独特な教育システムの功罪
- 制約が生み出した地域コミュニティの活性化
- 物事の多面性を受け入れる大人の視点
## 本編:煽り報道と昭和の思い出から見える多面性
こんにちは、あすとろサイコロのきーぼーです。あすコロラジオ、記念すべき10回目でございます。今日も大阪は高槻にあります、あすコロスタジオという名のただの部屋からお送りしています。
今日は2025年7月5日。世間では日本で大災害が起きるんじゃないかって言われていた日ですね。たまたま車でテレビをつけていたら、なんかそこで7月5日は大災害の日みたいな感じで言っていました。
でも、台風とかもそうだけれど、最近マスコミが煽り立てることって大体起きないですよね。無理やり不安を煽って、まあ何もなかったってのはめちゃくちゃ良いことなんですけれど、なんかうさんくささが見え隠れしているかなって気がします。
7月5日の話がいろいろ、なんか大手マスコミやテレビでこんなこと言ってると思わなかったんで、たまたま車に乗ってニュースか、話題ワイドショーかな、なんかそんな名前でやっていましたけれど、びっくりしたんです。
さっき言ったように、マスコミが煽り立てることって、最近はなんかクルクル作業みたいな感じで、国民を不安にさせるような、揺動作戦みたいなことやっているのが、めちゃくちゃ腹が立つくらい怪しさが出ていますね。
まあ、そういう煽りに我々の集合意識があんまり反応しなくなってきているのかな。ちょっと怪しい話だけれど、そういうのはめちゃくちゃ良いことかなって思います。ぼく、新聞とかテレビあんまり見ないんで、もしかしたらどっかで何か起きているかもしれないけれど、少なくともぼくの周りでは特に何もなくて、このまま終わりそう。よかったなあって思います。
今日、土曜日ですね。「次の恋を予感させるから大嫌いな土曜日」、ユーミンのテーマソングに代表される、俺たちひょうきん族の日でしたね。あすコロ世代の我々にとって、この時間、土曜日の8時っていうのは、誰でも知っているドリフの8時だよ全員集合だったですよね。
8時だよ全員集合か、俺たちひょうきん族か、どっち見るねんっていう派閥、論争じゃないけれど、そういうのが子供の頃ありまして。ぼく、実は俺たちひょうきん族のほうが好きだったんですけれど、親がどうもひょうきん族のぶっ飛びすぎる感があんまり好きじゃなかったみたいで、昔はテレビ1台しかなかったから、仕方なくドリフも面白かったんですけれど、8時だよ全員集合の方見ていました。
ドリフはめちゃくちゃ面白くて、最初の30分コントはめちゃくちゃめちゃくちゃ面白かったんですけれど、その後にアイドルが歌うとか、そっちの残り30分がどうもぼくは好きになれなくて、最初の30分だけで、後ろの30分なんか無駄にしているなあって思いながら見ていました。ひょうきん族のほうは最初から最後までぶっ飛んでいる感じだったんで、子供ながらにはひょうきん族のほうが合っていると思いましたけれど、今見たらドリフなんかやっぱりすごいなあって思いますね。
あと、どっちやねん論争で、もう一つ思い出に残っているのが、ローラースケートかスケボーか、どっちやるみたいな。そこの象徴だったのが光GENJIとSMAPですよね。光GENJIがローラースケートで、SMAPがスケボー。SMAPって最終的にはめちゃくちゃ国民的アイドルになりましたけれど、当時は光GENJIがめちゃくちゃすごくて、ローラースケートをサーッとやっていました。SMAPは後ろの余興でやっているスケボーの人みたいな感じ。SMAPって何やねん、名前もダサいしみたいな、言ったらいけないと思いますけれど、当時の社会の空気がそうだったって話です。
ぼく、ローラースケートだったんですよ。別に光GENJIが好きだからローラースケートやったわけじゃないんですけれど、ものの見事に外しまして、光GENJIが消えてしまったけれど、SMAPもまあ消えましたけれど、あそこまですごいアイドルになった。なかなか面白いなあって思います。
こういうどっちやねん論争、めちゃくちゃ好きなんですよね。本当にピンポイントでしか刺さらない話なんですけれど、ぼく、大阪の高槻におりまして、高槻市民、高槻のライバルとして隣に茨木市があるんですよ。ぼく、もともと茨木の人間で、めちゃくちゃライバルしていたんです。
4大を超えますと、枚方vs寝屋川みたいなもんがあったりするんですけれど、茨木市民から見たら高槻ってめちゃくちゃライバル。でも、めちゃくちゃライバルしているのは茨木市民のほうだけで、東京対大阪の戦いで、東京は別に何とも思っていないけれど、大阪がやたら東京をライバル視しているみたいな感じですね。
都市としては高槻のほうが大きくて、都会だし人口も多いみたいな感じだったんですけれど、ぼく、子供の頃は高槻方式って言って、住んでいる場所で高校が決められるんですよ。中学校の義務教育みたいな感じじゃなくて、どんなに頭が良くても新学区外の高校に行くことがほぼ許されていなかった。
例外として行ける例もあって、その時は教室の前でみんなの前で理由を述べないといけないとか、めちゃくちゃ左翼的な色がぷんぷんしていました。それを理由に高槻から茨木に引っ越すみたいな流れもあって、うちもそうだったらしいんですけれど、高槻方式によって、本当はもっと良い高校行けたのにって思いをされた方も結構いたみたい。
でも、それによって、大人になって東京行ったんですけれど、戻ってきて、当時の雰囲気があって、茨木市民としては高槻に住むわけにはいかないって妙な意地を張っていたんですけれど、紆余曲折あって高槻に住むようになったら、住めば都ですね。めちゃくちゃ住んでみて良いなあって思いました。
もう一個驚きなのは、高槻は地元の高校になるべく行かせる方針だったから、地元密着率がめちゃくちゃ高いんですよね。茨木と比べて、高槻市民同士で結婚しているカップルとかめちゃくちゃいて、高槻で生まれ育って、高槻で仕事してみたいな感じで、人が循環しているから、昼間人口めちゃくちゃ高くて、なんかそういう教育システムとしては苦いものがあったんだけれど、結果的に地域のコミュニティの活性化に、そういうのが寄与していたのかもしれないなあって思います。
なんか物事って多面体だなあって思いますね。勉強一生懸命やっていた人からすると、苦いことがあったかもしれないけれど、それが引いては地元の活性化に繋がっていた。それを意図したかどうかわかりませんけれど、そういうのもあるのかなって思います。ちょっと見方として面白いなあってことで。
## 最後に一言
今回も聞いていただき、ありがとうございました。物事の多面性って、大人になってから気づくことが多いですよね。また次回お会いしましょう。