勝ち抜きのトーナメント方式が生む「過酷さ」は、実は社会の縮図かもしれません。
甲子園の準決勝での誤審や広陵高校の事件をきっかけに、「なぜ部活動には暴力や理不尽な環境が根強く残るのか」を考えてみました。
一度負けたら終わりのトーナメント制が生む“常に緊張を強いられる構造”。それは私たちの働き方や社会の空気感とも重なっているのではないでしょうか。
今日のポイント
・高校野球で物議を醸した誤審シーンから感じたこと
・トーナメント制が前提とする「一度の敗北=終わり」の構造
・そのために普段から「ストレスフルな環境」に身を置かせる指導法
・過酷さを美徳化する文化が部活動に根強く残る背景
・プロ野球(リーグ戦)との違い:抜きどころがあるかどうか
・見る側が「スリリングさ」を求めることで続くシステム
・ゴシップや視聴率の構造とも似た「消費する側と供給する側」の関係
・結果的に「社会の縮図」としての高校野球が浮かび上がる
・健全な育成を考えるならリーグ戦という提案も
・それでも「面白さ」を求める視聴者心理が変わらない難しさ
まとまりきらない考察でしたが、ぼく自身「社会の縮図としてのスポーツ」について改めて感じるところがありました。
聴いてくださってありがとうございます。あなたはどう思われますか?また次回もぜひお付き合いください。