本コンテンツは朝井リョウ氏の小説『イン・ザ・メガチャーチ』のネタバレを含みます。
興味深いのは、組織がこの「150人」の壁を超えた瞬間に生じる質的変化です。150人以内であれば、顔の見える関係性による「阿吽の呼吸」で統制が取れますが、それを超えると構成員の存在は記号化し、一体感を維持するために冷徹な「制度」や「仕組み」といった外部装置が必要になります。私たちが巨大な社会の中で感じる疎外感は、脳というハードウェアがこの規模に対応できていないことから生じる、生物学的なエラーとも言えるのです。
現代のファンダム経済は、この「認知の限界」を極めて巧妙にハッキングしています。何万人、何十万人という巨大なファンコミュニティの中で、なぜファンたちは自発的に5〜15人程度の小規模なLINEグループやオフ会を作るのでしょうか。
その理由は明確です。巨大すぎる集団の中では、個人の熱量は霧散してしまうからです。運営側が仕掛ける熱狂を個人の心に定着させるには、ダンバー数の内側の層(5〜15人)における「相互監視」と「相互承認」が不可欠なのです。少人数のユニットで濃密に肯定し合うことで、巨大なうねりの中での帰属意識は擬似的に補強され、熱量は最大化されます。
テクノロジーが進化し、理論上は何万人とも「つながれる」はずのSNSにおいても、実際に親密にやり取りできる人数は依然として150人程度に収束するという研究結果があります。どれほどツールが進化しても、人間の脳は数万年前のサバンナにいた頃のまま。この「認知の限界」という脆弱性があるからこそ、私たちは現実の複雑さに耐えきれず、世界を簡略化してくれる「物語」を渇望するようになるのです。
朝井リョウ氏の小説『イン・ザ・メガチャーチ』は、この熱狂の構造を「巨大教会(メガチャーチ)」というメタファーで描いています。ここで特筆すべきは、「仕掛ける側」として登場する久保田慶彦という人物です。
レコード会社でアイドル運営に携わる慶彦は、自らも孤独に苛まれながら、ファンの心理を操作し、意図的に熱狂を作り出していきます。彼は「内気で繊細なメンバー」という属性にフォーカスを当て、ファンの庇護欲を煽る「物語」を設計します。そこにあるのは純粋なプロデュースなどではなく、空虚な人々に「信じるべき対象」を与えるための、冷徹なマーケティング・ロジックです。
「神がいないこの国で人を操るには“物語”が一番」
この言葉は、現代社会の急所を突いています。運営側は、私たちが抱える孤独という渇きを熟知しており、そこに「物語」という飲料を流し込むことで、意図的に思考停止を誘発させます。慶彦のような「仕掛ける側」は、私たちの150人という限界を逆手に取り、認知の隙間に擬似的な家族、擬似的な親友としての「推し」を滑り込ませるのです。
慶彦の娘である大学生の澄香は、父が仕掛けたその「物語」に、知らずして飲み込まれていく「のめり込む側」の象徴です。大学で居場所を見つけられない彼女にとって、内気なアイドルの成長を見守る「推し活」は、現実の苦痛を忘れさせてくれる唯一の救いでした。
あえて視野を狭め、特定の物語の中に閉じこもることは、複雑な現実と向き合うよりも圧倒的に「楽」であり、一時的な「幸福」をもたらします。しかし、その代償は甚大です。澄香は推し活の資金を捻出するために、父に留学費用と偽って金を無心するまでに転落していきます。また、別の登場人物である絢子は、推しの死をきっかけに別の「物語」へと漂流し、白装束を纏って街頭活動を行う陰謀論的なコミュニティへと傾倒していきます。
この物語が突きつける最大の皮肉は、その結末にあります。慶彦が孤独を埋めるための仕事として作り上げた「熱狂の物語」が、実は自分の愛娘である澄香を蝕み、破滅へと追いやっていた――。慶彦がその事実に気づくのは、まさに彼が手元のスマートフォンを見ようとする直前の瞬間です。孤独を商機に変えるシステムが、最終的には作り手自身の最も大切な絆さえも飲み込んでいく。現代の孤独が産む悲劇的な循環が、ここに極まります。
私たちは今、脳が規定する「150人の限界」という古いハードウェアを抱えたまま、システム化された巨大な「物語」に包囲されて生きています。ファンダム経済が提供する「救い」は、孤独という病に対する対症療法に過ぎず、その実態は私たちの認知機能をハッキングして搾取する、精巧な罠かもしれません。
問いかけるべきは、これです。あなたが今、心酔しているその「物語」は、本当にあなた自身の意志で選び取ったものでしょうか。それとも、誰かがあなたの孤独を収益化するために、あつらえた舞台装置に過ぎないのでしょうか。
自分が大切にすべき「150人」を、私たちは見誤ってはなりません。そこにいるのは、血の通った生身の人間ですか? それとも、誰かが書いたシナリオを演じているキャラクターに過ぎませんか?
視野を狭める「幸福」は、時に人を救いますが、同時に人を盲目にします。現代社会という名のメガチャーチの中で自分を見失わないためには、誰かに与えられた物語を消費するのではなく、手の届く範囲の人間と泥臭い繋がりを築き直し、自分自身の物語を自らの手で書き進める強さを持たねばならないのです。
2. 脳が規定する「150人」の壁:ダンバー数の衝撃3. 熱狂を維持する「少人数のユニット」:ファンダム経済の裏側4. 「メガチャーチ」化する社会:仕掛けられる物語の魔力5. 視野を狭める「幸福」とその代償:救いか、破滅か6. 結びに:私たちはどの「物語」を生きるのか