元ネタは https://jazzywada.blog.jp/archives/1085530184.html
主に 2003年9月7日 に配信された「 ふりーはーとメールマガジン 」の 第109号「母」 の内容とその詳細な考証から構成されています。このメルマガ記事は、当時の小泉純一郎政権 の広報誌に対抗する形で再開された経緯を説明しつつ、筆者が親しい女性や妻、実母に対して 「お母さん」 という呼称を多用することから生じる ユーモラスなエピソード を展開しています。記事は 文語的表現 や 歴史的仮名遣い を意図的に混用した個性的な文体で書かれており、当時の個人のインターネット文化と2003年の社会情勢(小泉再選の話題や厳しい残暑)を反映している点が詳細に分析されています。また、記事の導入部には「珈琲とjazzと巡礼」といった筆者の趣味に関するリンク情報も含まれています。
「お母さん」という呼称が公私にわたって混乱を招くという、筆者の個人的な習慣をユーモラスに綴ったエッセイです。筆者は、妻を「お母さん」と呼ぶ習慣が根付いているため、実母と同席した際や、蕎麦屋の奥さんを呼んだ際など、複数の女性が同時に「はい!」と返事をする滑稽な状況を赤裸々に描いています。記事の冒頭では、当時の小泉政権に関連する時事的な話題を交えつつ、メルマガを再開する経緯を説明しており、文語的な表現と自虐的なユーモアを多用した個性的な文体が特徴的です。最終的に、筆者の呼称の癖が家庭内や社会的な場面で引き起こす親愛と混同の境界線を探るのが主題となっています。
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なぜ日本人は、妻や同僚まで「お母さん」と呼んでしまうのか? ある男性の告白から見えた、奇妙で面白い習慣序文:はじめに
なぜか自分の母親でもないのに、親しみを込めて「お母さん」と呼んでしまう、あるいは呼ばれている場面に出会ったことはありませんか? 自分の妻はもちろん、実の母や義理の母、職場の同僚に、行きつけのお店の女将さんまで。この日本特有ともいえる面白い習慣は、一体どこから来て、どんなユーモラスな状況を生み出しているのでしょうか。
この記事では、今から20年以上前の2003年に書かれた、ある個人のメールマガジン(エッセイ)を紐解きながら、一人の男性の告白を通して、この奇妙で愛すべき「お母さん」カルチャーの実態と、その背景に隠された人間関係の不思議を探っていきます。
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エッセイの筆者は、子どもが生まれてからずっと、妻のことを「お母さん」と呼ぶ習慣が続いていたと告白します。多くの家庭で見られる光景ですが、この習慣が思わぬ混乱を招くことになります。
週に一度、筆者は彼の実母(当時74歳)と妻を交えて三人で食事を共にしていました。その席で、いつものように妻を呼ぶつもりで「お母さん」と声をかけたところ、なんと実の母と妻の両方が同時に「はい!」と返事をしてしまったのです。
これには筆者も困惑。対策として、母を「あっチャン」、妻を「京子さん」と、それぞれの名前で呼ぶことを試みます。しかし、長年の習慣はそう簡単には抜けません。意識すればするほど、口から出るのは、やはり「お母さん!」という呼び声ばかり。しかもこの問題、相手が義理の母であっても頻繁に起こるというから、根は相当に深いようです。このエピソードは、家庭内での呼称が引き起こす、微笑ましくも実に厄介な状況を象徴しています。
私が,妻のことを呼ぶ積もりで「お母さん」と呼ぶと,母と声を併せて「はい!」と答えるのである。これは,困ったことになったと一計を案じた。
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この「お母さん」という呼称は、家庭というプライベートな空間を飛び出していきます。しかしその前に、筆者自身の告白に耳を傾けてみましょう。彼は、親しくない女性に対して、自分なりの精緻な(?)ルールで呼び方を決めているといいます。それは、「57歳までがお嬢さん、58歳から72歳までがお姉さん、72歳以上が奥さん」という年齢区分。もっとも、酔いが回るとこのシステムは崩壊し、80歳の方にも「お嬢さん」と呼びかけてしまうそうですが。
重要なのは、この個人的で複雑なルールが、「親しい女性」には適用されないという点です。彼にとって親しい女性への呼びかけは、ただ一つ。「お母さん」なのです。
その典型例が職場にありました。筆者の職場には、三つ子の母親である女性がいました。周囲の同僚たちは、誰からともなく彼女のことを「お母さん」と呼んでいたそうです。筆者自身もその習慣に染まり、他部署の人間に対して彼女を紹介する際に、ごく自然に「ウチのお母さんが…」と、まるで身内の一員であるかのように話していたといいます。
この事例は、「お母さん」という言葉が、単に「母親である」という役割を示すだけでなく、コミュニティの中での親しみや敬意を込めた愛称として機能していることを示唆しています。それは、多くの人が居酒屋の女将さんを「お母さん」と呼ぶ感覚にも通じる、日本社会に根付いた文化的な広がりなのかもしれません。
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物語は、この習慣が引き起こす混乱のクライマックスへと向かいます。舞台は、筆者が行きつけにしていた蕎麦屋「D黒屋」です。
筆者は、この店の奥さんのことを、日頃から親しみを込めて「お母さん」と呼んでいました。ある日、彼は自分の妻を連れてこの蕎麦屋を訪れます。そして、事件は起きました。店内で何かを頼もうとした筆者が、いつもの調子で大きな声でこう呼びかけたのです。
「お母さん!」
その瞬間、声に反応して「はい!」と答えたのは、二人。蕎麦屋の奥さんと、そして隣に座っていた筆者自身の妻でした。家庭の「お母さん」と、街の「お母さん」が同時に返事をするという、まさにカオスな状況。公私にわたる「お母さん」呼称の乱用(?)が生んだ、予期せぬユーモラスな結末に、筆者自身が一番驚いたようです。
そのとき,つい,私が大きく「お母さん」と声を発した。 蕎麦屋の奥さんと妻が,同時に「はい!」と答えた。これには,さすがに驚いた。
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20年以上前に書かれたこのエッセイは、時代を超えて今も変わらない、日本語の面白い側面を鮮やかに浮き彫りにしています。
「お母さん」というたった一つの言葉が、家庭から職場、そして街の店へと軽々と越境していく。個人の名前が持つ「正確さ」よりも、役割名がもたらす「共同体としての親密さ」を優先する、日本語の面白い特性がそこには隠れているのかもしれません。効率よりも空気を重んじるがゆえに生まれる、微笑ましい混乱なのです。
さて、あなたの周りでは、一体誰が「お母さん」と呼ばれていますか?
1. 家庭内で勃発!「お母さん」と呼んだら、母と妻が同時に返事をする問題2. 職場にも浸透する「お母さん」文化 ― 同僚は「ウチのお母さん」3. まさにカオス!蕎麦屋で起きた「ダブルお母さん」事件結論:言葉の習慣が映し出す、不思議な人間関係