※このコンテンツは jazzywada が書いたメルマガ記事を NotebookLM で処理、出力したものです。
※AI音声特有の誤読等たくさんありますがご容赦ください。
元ネタは https://jazzywada.blog.jp/archives/1085541125.html
このエッセイは、英語と日本語の音の類似性を利用した空耳や記憶術を考察しています。中浜万次郎にまつわる「掘ったイモいじったな」等の俗説を検証しつつ、言葉の聞き取りの難しさを紹介。最後は下町江戸弁が聞き取れなかった自身の体験を通じ、言語の壁を論じています。
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ジョン万次郎から「ぽんぽんぽんっ」まで。耳が紡ぐ、愉快で深い「空耳」の言語学導入:未知の音に架ける「心の橋」
新しい言語の森に踏み入るとき、私たちの耳はしばしば、見知らぬ音を勝手に知っている言葉へと変換してしまいます。いわゆる「空耳」です。
例えば、アメリカ人が「おはよう」を地元の「オハイオ州(Ohio)」と結びつけて覚えたり、日本人が「Water」を「藁(わら)」、あるいは「Sit down please」を「知らんぷり」と聞き取ったり。こうした現象は、単なる聞き間違いではありません。それは、未知の響きをどうにかして自分の世界に引き寄せようとする、人間のたくましくも遊び心に満ちた「音の記憶術」であり、異文化の壁を強引に繋いでしまう見えない橋のようなものです。
今回は、伝説のジョン万次郎から下町の居酒屋での体験まで、耳を澄ませば聞こえてくる、意外な言語の世界を紐解いてみましょう。
日本の英語教育の夜明け、その最前線にいたのが中浜(ジョン)万次郎です。幕末、漂流の果てに米国で教育を受けた彼は、従来の「綴り(スペリング)」重視の学習法ではなく、徹底した「耳で聞こえたまま」の発音を日本に伝えようとしました。
万次郎にまつわる最も有名な俗説といえば、「What time is it now?」を「掘ったイモいじったな」と教えたというエピソードでしょう。しかし、ソースとなる彼の代表作『英米対話捷径』を紐解くと、実はこのフレーズの記載はありません。
それでもなお、この俗説がこれほどまでに広く、そして深く浸透したのはなぜでしょうか。それは、万次郎が提唱した「実用的な発音指導」の衝撃がそれほど大きかったからに他なりません。彼は「coffee」を綴り通りに読むのではなく、「カヒ」または「コピ」という、当時の日本人にとって最も英語の音に近い響きで捉えようとしました。この「綴りよりも耳を信じる」という過激なまでのパラダイムシフトが、のちに「掘ったイモ」というキャッチーな伝説を生む土壌となったのです。
なお、別の著作『英語練習帳』には「What time is it now?」の記載があるとも言われていますが、同時に「男子」を「ボヲヤ(Boy-a)」、「女子」を「ゲロ(Girl)」と記しているという話も伝わっています。ただし、これらについては筆者自身も「原著にあたっていないので責任は負いかねる」と述べており、当時の人々が万次郎の革新性を面白おかしく語り継いだ「伝説」の域を出ない可能性も考慮すべきでしょう。
万次郎の「耳で聞く」精神は、現代の私たちが楽しむユーモアの中にも息づいています。音の区切り(ジャンクチャー)やリズムを見事に捉えた、秀逸な例を紹介しましょう。
入国審査で「入国目的は?」と問われ、こう答えると「Sightseeing ten days(10日間の観光)」と聞き取ってもらえるという傑作です。日本語の固有名詞を、英語の音節構造へ見事にスライドさせた言語的センスには脱帽せざるを得ません。
コーヒーを注文する際の「A cup of coffee」。この「a cup of」の部分を、英語の崩れた発音(cuppa)として捉えると、驚くほど「カッパ」の響きに近づきます。
ロンドンの「ウェスト・ケンシントン(West Kensington)」へ行くための切符を買う際に使えるというフレーズ。これには「同じ武将なら」と「武田信玄」と言ってみたところ全く通じなかったという、いかにも作り話めいたユーモラスな後日談も添えられています。
これらの例は、単なるダジャレの域を超え、英語特有のアクセントや音の繋がり(リエゾン)を、日本語の音韻のなかにどう着地させるかという、高度な「音の翻訳」としての側面を持っています。
意味を度外視して「音」だけで記憶することが、時にどれほど強烈なインパクトを与えるか。筆者が中学時代に授かった「呪文」のエピソードは、そのカタルシスを鮮烈に描き出しています。
「Free care car was to become, me zoo no what.」なる呪文を授かった。一生懸命,辞書引いたがどうしても訳せなかった。あの名句「古池や 蛙飛び込む 水の音」であったとは。
辞書を引いても決して解けない「難解な英語の呪文」が、ある瞬間、馴染み深い松尾芭蕉の俳句として結実する。この、意味を持たない音の羅列が、一気に確かな文脈へと変わる瞬間は、言語学習における「聞き覚え」の本質を突いています。
空耳や聞き取りの難しさは、なにも外国語に限った話ではありません。筆者が門前仲町の居酒屋「魚*(うお……)」を訪れた際のエピソードは、コミュニケーションの本質を教えてくれます。
東西線の階段を上がった先にあるその店は、壁一面に品書きの短冊が貼られた、活気あふれる空間でした。窓を向いた狭い棚に陣取った筆者たちに、高齢でちゃきちゃきの下町江戸弁を操る女主人は、いきなり「ぽんぽんぽんっ」と言い放ちます。
呆然とする客。すると彼女は「日本語で喋ってんだよ、わかんないの?」と畳みかけました。注文は「目が薄いからおっきな字で書いて」とメモを渡されるなど、独自のルールが支配するその空間で、五合入りの巨大な徳利を前に筆者は悟ります。
同じ日本語であっても、受け取る側に「その気」がなければ、言葉はただの記号に成り下がってしまう。外国語であれ江戸弁であれ、相手の言葉を理解するには、まずその「音」の懐に飛び込み、耳を澄ませる「構え」が必要なのです。
「掘ったイモいじったな」という伝説に象徴されるジョン万次郎のパイオニア精神は、形を変えながら私たちの日常に溶け込んでいます。教科書的な綴りよりも、まずは「耳でどう聞こえるか」という実感を大切にすること。
音の類似性を探り、遊び、そこから理解の糸口を見つける。それは、未知の他者や文化に対する、もっとも人間味あふれる歩み寄りの姿勢かもしれません。
明日、あなたが耳にする日常の喧騒の中に、まだ誰も気づいていない「新しい日本語」が隠れているかもしれません。少しだけ「その気」になって、周りの音を聴き直してみませんか?そこには、昨日までとは違う、愉快な世界が広がっているはずです。
伝説の始まり:ジョン万次郎が試みた「耳ファースト」の革命「斎藤寝具店」から「河童の屁」まで:言語的センスが光る空耳の粋斎藤寝具店(さいとうしんぐてん)です河童の屁(かっぱのへ)上杉謙信(うえすぎけんしん)難解な呪文の正体は「古池や」:意味を超えた音の力言語の壁は身近なところにも:門前仲町の「ぽんぽんぽんっ」結論:耳を澄ませば世界が変わる