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※このコンテンツはjazzywadaが書いたメルマガ記事をNotebookLMで処理出力したものです。

※AI音声特有の誤読等たくさんありますがご容赦ください。

元ネタは

https://jazzywada.blog.jp/archives/1085530392.html

https://jazzywada.blog.jp/archives/1085530388.html

2003年発行の「ふりーはーとメールマガジン」の連続した2号であり、筆者が長年温めていた古い真空管プリアンプのキットを組み立てる過程を詳細に記録しています。第95号では、現代の簡素化されたパソコンの自作と対比しつつ、細密な半田付け作業における老眼による視力的な苦労をユーモラスに描写しながら、筐体の塗色変更といった趣味的なカスタマイズへのこだわりを語ります。続く第96号では、オーディオマニアの間で語られる**「無極性コンデンサーの取り付け方向が音質に影響する」という説を検証し、既に半田付けを終えていた19個の部品を、オシロスコープを用いて誘導雑音を測定しながら取り外し、向きを揃えるという膨大な作業を実行します。しかし、多大な労力を費やしたにもかかわらず、最終的な試聴でレコードプレーヤー入力(フォノイコライザー部)が機能しない**という結果に終わり、オーディオ趣味の奥深さと、徒労に終わる哲学的な側面に言及しています。総じて、これらのテキストは、電子工作の喜びと、それに伴う滑稽で辛い現実を赤裸々に綴った、2000年代初頭の貴重な記録となっています。

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2003年当時の電子工作趣味、特にオーディオアンプの組み立てに見られる労力と精神的な報酬の関係性は、「しんどいけれども苦しくない、むしろ楽しくて仕方がない」矛盾をはらんだ、非常に強い満足感に基づいています。この関係性には、肉体的な苦労、作業へのこだわり、そして結果が伴わなかった際の哲学的な自問自答が含まれていました。労力の具体的な内容2003年当時、電子工作の労力は、主に複雑な電子部品の組み立てと、マニア的なこだわりによる困難な作業に費やされました。1. 肉体的な負担(老眼との戦い) 電子機器の組み立てでは、プリント基板上の数ミリ間隔(場合によってはミリ以下)の箇所に部品を半田付けする作業が、数百から千数百回繰り返されます。 筆者は、ある程度の年齢に達したことによる老眼(近くがはっきり見えない症状)により、この作業に非常に苦労しています。メガネをかけたり外したりする手間がかかり、作業内容や目的が朦朧としてくるほどでした。また、半田ごてから立ち上るロジン(松脂)の蒸気を吸い込むことによる酩酊感もありました。2. 部品交換・修正の高い労力 部品の取り付け方向に対するマニア的なこだわり(音質への影響)から、筆者は既に半田付けを終えていたマイラコンデンサ19個(38カ所の半田付け)を、後に取り外して付け直すという作業を決行しました。 当時の基板は両面基板や多層基板が一般的で、スルーホールによって半田付けが強固になっているため、部品を取り外す際には、通常の半田付け時の約20倍の労力が必要とされています。この再作業にほぼ丸一日を要しました。3. こだわりの仕上げ キットをただ組み立てるだけでなく、オリジナル性を出すための仕上げ作業も労力を要します。例えば、アンプのケースの塗色を変更するため、サンドペーパーで塗料を落とし、車の補修用スプレーペンキを少量ずつ重ね塗りし、乾燥させてカーワックスで磨くといった工程は、大した作業ではありませんが時間がかかります。精神的な報酬と満足このような多大な労力に対して、精神的な報酬は、作業そのものの楽しさ趣味性の追求によって得られました。1. 作業への本質的な喜び 肉体的、視覚的に「しんどい」作業であっても、筆者はそれを「苦しくない」「むしろ楽しくて仕方がない」と表現しています。 これは、手が常に作業を欲しているという考察(枝豆の鞘を指で押し出す作業が美味しい理由として挙げられている)にも裏打ちされており、手を動かす行為自体が報酬となっている側面が示唆されています。 また、約10年ぶりに半田ごてを握ることに対する郷愁も、組み立てを促す動機の一つでした。2. オリジナル性の追求 単に動作する製品を作るだけでなく、ユニークな、自分だけのものを作るという趣味性が大きな報酬です。キットに元々含まれていない高級な部品を活用したり、塗色の変更で外観にこだわったりすることによって、満足感が得られます。3. 哲学的な納得感 一部の部品の取り付け方向が音質(位相、定位)に影響を与えるという、根拠に乏しい可能性のあるマニアの説(「藤本の辛口コラム」の説など)に従って部品の向きを揃える作業は、**「思想、或いは哲学」**として捉えられています。 測定機器上で数字に表れない感覚的な改善であっても、「音が良くなる」という一言や、納得するための理由さえあれば、それに従うことができ、それが精神的な満足につながります。報酬が伴わない場合の葛藤労力を尽くしても、必ずしも満足のいく結果が得られるわけではない点が、この趣味の複雑さを示しています。多大な労力を費やしてコンデンサの向きを揃えたにもかかわらず、最終的な試聴で**肝心のレコードプレーヤー入力(フォノイコライザー部)が「要改造」という結果に終わりました。この時、筆者は、コンデンサの向きを揃えた作業(哲学的な労力)や、音に無関係な「塗色」に浮かれていたことに対し、「深い悔恨の情」**に苛まれました。しかし、筆者はこの経験を「宗教は、哲学は、思想は、藤本氏は、鰯の頭は…」と自問しつつも、「全責任は小生にある」と受け止め、この葛藤を含めて**「辛くも楽しい趣味の生活は続く」**と結論付けています。--------------------------------------------------------------------------------まとめ2003年当時の電子工作趣味における労力と精神的な報酬の関係性は、**「努力が報われる保証がない困難な作業(特に肉体的負担と部品の再加工)」「作業そのものの楽しさ、オリジナル性の追求、そして哲学的な信念によって支えられる強い内的な満足」**が複雑に絡み合ったものです。成功しても失敗しても、その過程自体が報酬であり、時に深い悔恨を伴いながらも、結果として趣味生活を継続させるエネルギーとなっていました。