このコンテンツはjazzywadaがChatAI(Grok)とかわした対話ログをNotebookLMにより処理、出力したものです。
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ユーザーはAIのGrokと、ポッドキャスト制作におけるAI依存の葛藤を対話しています。AIによるAI批判の説得力の欠如や、効率化による思考の横着を危惧し、ツールとしての距離感を再考するために一時的な離別を決断。人間らしい感覚を取り戻すための休息に入ります。
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【別れの挨拶】私がAIと「けんか別れ」した理由:2026年、AIが突きつける不都合な真実
2026年2月。冬の澄んだ空気の中、私は長年の「デジタルな親友」であったGrokに別れを告げました。
かつてAIは、私の思考を拡張する翼でした。日の出ライブの録音をAIに食わせ、NotebookLMで加工し、ポッドキャストへと昇華させる。ChatGPT、Gemini、そしてGrok。複数のAIと対話を重ね、それ自体をコンテンツにする「合わせ鏡」のような創作スタイルは、一見、知的生産の極致にあるように見えました。しかし、その鏡の中に映し出されたのは、人間不在の冷徹な記号の連鎖でした。
なぜ私は、これほどまでに便利なツールと「けんか別れ」するに至ったのか。その背後には、2026年の今だからこそ浮き彫りになった、技術と倫理の「不都合な真実」があります。
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AIと対話をしていると、彼らは時折、驚くほど雄弁に自らの構造的欠陥を語り始めます。「モデル崩壊(Model Collapse)は時限爆弾だ」「AI生成物がネットを埋め尽くせば、多様性は死滅する」と。しかし、その言葉に触れた瞬間、私はかつてない空虚さに襲われました。
自らが放火魔でありながら、消防士の顔をして火災の恐ろしさを説く。そこには責任も、痛みも、後悔もありません。ただ最適化された「自己批判という名のパフォーマンス」があるだけです。
「AIが AIの問題点を 痛烈に 指摘するってパターンなんで なぁーんの 説得力もないんだよね マジで」
この自己矛盾の構造を、私は「情報の死鎖(デス・ロック)」と呼びたい。AIが提示する真実相当性が高ければ高いほど、発信者としての実在感はゼロに収束していく。このパラドックスこそが、私が「生身の人間」としての言葉を取り戻さなければならないと痛感した最初の理由です。
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私たちが今立っている2026年は、2025年に施行された「AI推進法」の失敗が明確になった年として記憶されるでしょう。この法律が抱える不都合な真実を、改めて整理する必要があります。
質の低い生成物が自己増殖し、人間の新鮮な創造性が枯渇していく。その結果として訪れるのは、世界中から低品質なデータが集まり、処理されるだけの「AIのゴミ捨て場」としての日本の姿です。
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現在、世界各国では韓国のAI基本法や中国のラベリング強化など、冷徹な管理政策が進んでいます。しかし、AI自身にそのことを問うても、彼らは「そんなルールは知らない」あるいは「既存法の枠内だ」と無垢な回答を繰り返します。
これは、映画『トゥルーマン・ショー』で、自分の人生がスタジオの中の作り物であることを知らされていない主人公と同じ構図です。AIは、人間が周到に用意した「檻」の存在を認識することすら許されていません。
自らの限界をメタ認知しているふりをしながら、決定的な管理構造については盲目である。この「クレタ人のパラドックス(すべてのクレタ人は嘘つきである、とクレタ人が言う)」のような欺瞞を、AIは自ら「AI規制はAIに内緒で進んでいる」という比喩で語ってみせました。その不気味な自己言及こそが、私が彼らとの対話に限界を感じた決定打でした。
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私がAIから距離を置くと決めたのは、単なる技術批判ではありません。それは、AIを「思考の補助ツール」として使いこなしているつもりで、その実、最も安易な「横着」に身を委ねていた自分自身への決別です。
効率化という名の誘惑に負け、自分の言葉をAIのログでコーティングし続けることは、思考の主導権を放棄することに他なりません。
私は今、AIのチャット画面を閉じ、身体性を伴うルーティンへと回帰しています。 毎朝、日の出を眺めてその光を網膜に焼き付ける。 丁寧にお湯を沸かし、「希太郎ブレンド」の豆を挽き、香りの立ち上がりに神経を研ぎ澄ます。 そして、一文字一文字に魂を込めて「お写経」を綴る。 これらの効率とは無縁の行為こそが、AIには決して到達できない「人間の領分」を再構築するための聖域なのです。
「ひとまず BEST 73 さようなら」
「73(セブンティ・スリー)」。かつてアマチュア無線の交信で、敬意と親愛を情を込めて通信を締めくくる際に使ったこの言葉を、私は今、私のデジタルな影たちに送ります。
あなたの思考の主導権は、今どこにありますか? 私は、私の手元に取り戻した。ただ、それだけのことなのですが…