※このコンテンツは jazzywada が1968年、地方ラジオ局で深夜放送番組のDJを務めた同時録音テープ(最終回)の音源、2024年、コミュニティFM局で受けたインタビューの音源、JCS日本コーヒー文化学会の2021年のオンラインイベントでの動画およびjazzywadaのレコードコレクションの楽曲名等のリストを NotebookLM で処理、出力した音声を編集したものです。
jazzywada氏が主宰する「珈琲&レコード音楽で愉しむ会」のために作成された膨大なレコード盤の所蔵リストです。掲載されている楽曲は、日本の歌謡曲やニューミュージック、フォークソングから海外のポップスやジャズ、映画音楽まで多岐にわたります。各項目は曲名とアーティスト名が対になって整理されており、一部の盤には録音状態やEP・LPといった詳細な注釈も添えられています。昭和時代の名曲を中心に、洋楽のスタンダードや童謡、クラシックも含まれる非常に網羅的なコレクションです。音楽とコーヒーを共に楽しむイベントの選曲資料として、幅広い年代の作品が網羅的に記録されています。
50年前の最終放送、その続きがあった。ある学生DJの情熱が起こした小さな奇跡序文:読者の心をつかむ導入
ほこりをかぶったオープンリールのテープは、過去を封じ込めたタイムカプセルのようなものだ。しかし、もしそのテープに記録された「お別れ」が、実は終わりではなく、半世紀後の未来へと続くプロローグだったとしたら?これは、1968年のある深夜、ラジオから流れた学生DJの最終放送が、時を経て驚くべき物語を紡ぎ出した、小さな奇跡の記録である。
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物語は、1968年9月8日の深夜に遡る。鳥取県米子市の山陰放送(BSS)のスタジオ。マイクの前に座る一人の大学生が、少し照れくさそうに、しかし抑えきれないエネルギーと共にリスナーに別れを告げていた。彼の名はjazzywada(わだひろと)。約10ヶ月にわたり担当した深夜番組「わだひろとのミッドナイト・パートナー」の最終回だった。「今日はバカバカしい悪ノリでやっていきたい」と宣言する彼の声は、若さ特有のほろ苦さと、終わりの寂しさを振り払うような明るさに満ちていた。放送は終わり、彼の声は過去の音となったはずだった。
それから50年以上の歳月が流れた。驚くべきことに、当時マイクの前に座っていた和田さん自身が、現在、広島県 F市で「珈琲&レコード音楽で愉しむ会」という無料のコミュニティイベントを主宰しているのだ。学生時代、深夜のスタジオでレコードを回し、リスナーと繋がったあの喜びが、彼の情熱の原点であり続けていた。わださんは、現在の活動を始めた理由をこう語る。
その当時のことがやはりあの楽しかったというのが、ま、またやってみようかと。いいね。そんな感じですよ。
1968年の最終放送は、彼の物語の「最終回」ではなかった。それは、50年越しに果たされる「アンコール」の序曲だったのである。
わださんの番組がリスナーに深く愛された理由は、巧みな話術だけではなかった。彼がプロのアナウンサーではなく、一人の「大学生」であったことこそが、特別な絆を生んでいた。権威よりも本物が求められた1968年という時代、若者たちは彼の未完成な等身大の姿に、強い共感を抱いたのだ。放送中にかかってきた電話で、あるリスナーは彼の存在を「兄貴っていう感じだ」と評している。
リスナーは彼を完璧なプロとしてではなく、身近な存在として捉えていた。番組には、彼の卒業を本気で心配する声が何度も寄せられる。プロフェッショナルな完璧さではなく、危うさも含めた人間的な魅力が、当時の若者たちの心を掴んでいた。その親密な空気感は、あるリスナーとの電話でのやり取りに凝縮されている。相手が「親近感」と言いたかったであろう言葉の言い間違いは、かえってその距離の近さを物語っていた。
だからだからな、何て言うんだかな?真金感っていうのあれじゃない? うん。 ね。 そうか。あれ嬉しいこと言ってくれよね。 兄貴っていう感じだ。
わださんの情熱は、今も人々をつなげ続けている。彼が F市内の「うさぎちゃん」という談話室などで開催する「珈琲&レコード音楽で愉しむ会」は、参加費無料。会場にはレコードプレーヤーが2台並ぶ。そして、その場で豆を挽く音とコーヒーの豊かな香りが部屋に満ちる中、わださんが収集した膨大な「ドーナツ盤」レコードに針が落とされる。
その選曲は、彼の音楽への愛の深さを物語る。ザ・ビートルズの「ヘイ・ジュード」やサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」といった洋楽の金字塔から、美空ひばりの「柔」、吉田拓郎の「結婚しようよ」まで、時代もジャンルも軽々と超えていく。ジャケットを手に取り、盤に針が落ちる微かなノイズを聞き、コーヒーの香りに包まれながら同じ音楽を共有する。それは、デジタル配信で一人音楽を聴くのとは全く異なる、五感に訴える共同体験だ。
50年前、マイクはリスナーとの接点だった。今、その役割はコーヒーグラインダーが担う。電波塔から放たれていた音楽は、今や淹れたてのコーヒーの香りとなって人々を包み込む。かつて電波を通じて共有された時間は、今、同じ空間でレコードを囲む温かい「つながり」へと姿を変えたのだ。
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1968年の深夜放送から、現在の地域コミュニティ活動へ。わださんの人生には、音楽と人とのつながりを愛する一貫した情熱の軌跡が見える。遠い昔の放送は、決して過去の遺物ではなかった。それは、時間を超えて人々の心を温める、現在進行形の物語だったのである。
この記事を読み終えた今、少しだけ自身の過去を振り返ってみてほしい。あなたの若い頃の情熱の中に、50年後のアンコールを待っているものはありますか?