16世紀ルネサンス期のフランスを代表する哲学者ミシェル・エケム・ド・モンテーニュさんの言葉と、その解説を頂いてる宮下 志朗 東京大学名誉教授の言葉に痺れました
モンテーニュさん曰く
''人間はだれもが、自分を貸し出している。本人の能力が本人のためではなく、服従している人のためになっている"
"人間は自分の精神の自由を節約して使って、正当な場合でなければ、これを抵当に入れてはならない"
解説の宮下志朗さん曰く
"要するに、社会的な存在としての人間の義務ならばやむをえないが、それでなければ、自分を、あるいは自分の精神の自由を「抵当に入れてはならない」のである"
ここから私は"精神の自由を「抵当に入れない」ためには"を思いました
1、なんかわからないけど嫌、と言っていい
2、仲間の存在
3、自らが価値を創れる人になる
約500年前の哲学者のモンテーニュさんのお話が、今の自分にも突き刺さる話で、人間は変わってないのだなあとつくづく思いました
自分の精神の自由を抵当に入れるな!という秀逸な表現が、なおさら心に突き刺さりました
サラリーマン時代もそうですし、今でも、油断すると、自分の自由を抵当に入れてしまって、ニッチもサッチも首が回らなくなる、ということは、起きてしまってる私ですが
そこから、抜け出すためには何が必要なのかを考えて見ました
一つは、以前、糸井重里さんの、ボールのような言葉にあった"なんかわからないけど嫌、と言っていい"この言葉が思い浮かびました
何だか口の上手い人たちに、とかく上手く言いくるめられてしまうことが多い中で、とにかく嫌!と言える、少し理不尽かもしれないけど、自分の直感に従うことは、とても大事な気がします
また1人だけで戦おうとしない、ということも大切かと思います
ももクロの''白金の夜明け"にある
"誰もひとりなんかじゃない、ひとりになろうとするだけなんだ"がとても好きなのですが
助けてくれる仲間は必ずいるので、やばいと思ったら、手当たり次第に誰かに話してみる、こともやっていいのかと
そして最後は、服従から抜け出せるようになっておく、ということかと思います
それは、服従しなくても生きていける、そんな道を作っておく、ということもあるかもしれないし
服従しなくても生きていける、ノウハウやスキルを培っておく、ということでもあるかなとも思います
そのためには、常日頃、それを意識した活動をしていることがとても大事で
例えば、副業で培っておく、または、新しいサービス開発に従事しておく、さらには社内や社外の起業にチャレンジしてみる、そんなことが少しずつノウハウになっていくのかなと
そしてゆくゆくは、一家に一台、法人がある、ってなれば、服従からの脱出は怖くない、むしろ、対等に渡り合える、そんなことになれば
自由を抵当に入れないノベーションができるのではないかと
そんなことを思いました
そんな話をしています^ ^
参考:書籍: 岩波新書(新赤版)1786 モンテーニュ 人生を旅するための7章〔電子書籍版〕 二〇一九年一二月二六日 著者:宮下志朗 発行所:岩波書店
動画で見たい方はこちら