"何か神様がギフトを贈るというようなことが。
その時、そのギフトをキャッチする受け皿がないと、こぼしてしまうけど
短歌というのはその受け皿になりうると思うんですよね"
"何か自分の中にある燃え盛るものが57577の器に入れた時に化学反応を起こして、まあ歴史に残る"
"一千年以上の歴史の中で、読み人知らず、遠い昔の誰が作ったのかわからない傑作というようなものが、今もたくさん残っていますから"
"自分にもその奇跡が起こる可能性があるといいなあと"
ここから私は思いました
1、神様のギフトはパッション
2、受皿はアウトプットとしてのお返し
3、短歌は究極の制限と量が質を超えるイノベーション
神様のギフトって、きっと誰にでもあるんだろうなと
それは、ちょっとしたことや、感じたことや、考えたことなんかで、ほんの少し幸せな気持ちになることかもしれない
それはきっと、パッションとして内部で沸々と湧き上がってくるものなのかと
それは誰もがなんらかの形で受皿ですくってアウトプットしたくなるもの
画家は絵にしたり、音楽家は音楽にしたり、漫画家は漫画にしたり、文筆家は文章にしたりする人はアーティストと呼ばれたり
また社会を変えたり、新しい仕組みを作る人はイノベーターって呼ばれたり
それによってきっと神様のギフト受け取った感が出てきて、お返しをしたようなそんな気持ちになるのかもしれないなと
でも、実は、そんな特別な技術やスキルがない人でも、ギフトは受け取ってて、なんらかの受け皿が欲しいはず
そこに短歌は、言葉さえわかれば、誰もが簡単にギフトを受け取ることができる
そんな受け皿として、1300年前に始まったのかと
そんな誰もが簡単に使える受皿って、実はなかなかないのかもしれないなと
とにかく57577にハマる言葉さえ考えればいい
それで今の気持ちを、神様からもらったかもしれないギフトを表現すれば、ギフトを取っておくことができる
そして簡単だけど、制限がある。57577にはめて表現しなきゃ行けない
その制限こそが、イノベーションの種になる
そんな短い中に、とっても情景が浮かんだよー、とか気持ちめっちゃ伝わったよーとか
それが面白くてみんなが、参加してくる
そうすることで、量が質を超えていく
どんどん素敵な短歌のイノベーションが生まれてくる
短歌ってそんなグッドサイクルが回るイノベーティブな仕組みなんだと、改めて思いました
そしてこの構造で、イノベーションが起こせるっていうのは、一つの型なのかもしれないなと
FacebookもTwitterもある意味、似た構造な気がしました
誰もが自らのパッションを、なんらかの形として受皿にすくって、アウトプットしたい
それこそが、一人一人が新しい価値を出せるということなのかと思いました
一人一人が新しい価値を作れる時代、そこにはきっとそんな短歌のような、制限はあるけど誰もが参加できて、量が質を超えるような、そんな仕掛けが必要になるのかもしれないなと
全世界一人当たり一法人化をするためには、そんな新しい仕掛け作りとしての受皿も、必要なんだろうなと、改めて思いました
そんなことを思いました
そんな話をしています
参考:NHKアカデミア 穂村弘 https://www2.nhk.or.jp/learning/academia/video/?das_id=D0024300127_00000
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