スタンフォード大学の名誉教授でもあった米国を代表する哲学者のリチャード・ローティさんの考え方に考えさせられました
曰く
"公共的な正義を追求することと、私的な関心を追求すること、この2つはどうしたら統一できるのだろうか?"
指南役の哲学者の朱 喜哲(ちゅ・ひちょる)さん曰く
"私的なプライベートな趣味の追求とか、相手が大事にしてることは一歩一線をひいてあげながらも
でも残酷な状況に対しては一緒に手を携えて介入をして、その残酷な状況を何とか解消しようとします
これがこのリベラル・アイロニストという言葉に託されている構想なんですね"
ここから私は思いました
1、一見相反するものの同居
→会社と自分、会社とSDGS
2、どちらかだけになってはいけない
→支配する側、支配される側
3、2つのベン図の交わりは何か
→沢山のベン図の交わりを意識する
このお話は、会社人生もあるし自分の人生もあるとか、会社の利益とSDGSのような、一見相反するものが同居する状況の悩みに、とても共感しました
社会生活をしている中では、例えば家族という小さな単位でも、社会で生活している限りは必ず起きる悩みなのかと思いました
一つ言えることは、どちらかだけになってしまってはいけない、ということかなと思いました
例えば、会社にいる中で、人生全てが会社の論理に偏ってしまっている状態など、私もサラリーマン時代忙しすぎて、そんな状態の時もあったなあと改めて思います
または、逆に、ある組織で責任のある立場になったときなど、知らないうちに、その組織のミッション達成のために、メンバーに大変なことを知らず知らずに強いてしまっていたなど
いずれも誰にも当てはまることがあるんだろうなあとつくづく思ってしまいました
その時に何を意識すれば良いのか?とても良い問いを頂いた気がしました
一つは、自分とその周りの世界との、ベン図を意識することなのかと思いました
そのためには、まずは、自分側の円の中に何があるのかということを意識することかなと。それは私は自分の情熱のポートフォリオを意識してみることなのかなと
それがあって初めて、自分と関わりのあるベン図との交わりの部分はなんだろうと、意識してみることで、バランスの取れたベン図を書くことができるのではと思いました
この情熱のポートフォリオは、常に変化し続けるものなので、その時のスライスということかと思います
逆に、組織の責任者などにいる場合は、チームメンバの各々のベン図を1on1などで意識してあげることが大事になるのかなと
そのベン図の交わりを、整理するだけでなく、ある意味創発していく、ということが、人生を幸福にできる道なのかなと
例えば会社の中で、自分の情熱と会社のミッションの交わりはなにか?みたいなとこが創発できれば、幸せな会社生活になるなと
それはイノベーター的にいうと、3つのフレームのうちの大義の部分が、他の社会の交わりとして考えられたらいいなと
そしてパッションと大義をつなぐものとしたら、仲間の存在も欠かせなくなる
リベラルは大義、アイロニストはパッション、それを繋ぐのは仲間の連帯なのかなと
リベラル・アイロニストは、自分のパッションと、外の世界とのつながりである大義を、かね備えた人なのかと
それはイノベーター的な資質ととても似ているなと
リベラルアイロニストノベーションを思いました
そんな話をしています^ ^
参考:NHKEテレ東京 100分de名著 ローティ“偶然性・アイロニー・連帯” (2)「公私混同」はなぜ悪い? 初回放送日: 2024年2月12日https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/episode/te/G57RRV3RRP/
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