20年以上勤めた大手メーカーを退社し、米誌ナショナル ジオグラフィックの写真コンテストで、日本人で初めてグランプリを受賞された、海洋生物写真家の高橋怜子さんの独立を決めた人生哲学に震えました
曰く
"自分はマイナス思考でしたから。開発って、まずネガティブな要素を上げて、それを一つひとつ潰していくんですよ。
でも、先のことをいろいろ考えると、人はそこから出られない。だから考え方を変える必要があった。
その先に何が待っているとか考えないで、好きなことだけを集中してやってみる。そういう期間があっていい。もう20年以上会社に勤めてきたんだから、2、3年好きなことをしてもバチは当たらないだろう、と。
それほど、やりたいことが重要だったし、行きたいところ、撮りたいものがたくさんあった"
ここから私は思いました
1、やりたい事ありき
→パッションの源、大好きパッション
2、やりたい事を続けてたこと
→パッションの源を忘れない
→ 自分事と他人事のベン図の交わり
3、どうしようもなくなったら行動する事
→人生のゴールは成功ではなく幸福だ
→ Fast Fail
僕も開発をやる企業に勤めていたので、まずネガティヴな要素をあげて潰していく作業を、ずっとやってたこともありました
でもだからこそ、世の中に当たり前に動くサービスになっている、そして当たり前に動いてることは、誰も褒めてくれなくて、何かあった時にめちゃくちゃ叩かれる
自分の仕事が常に謝ってる仕事な時もあったし、そんな事を続けてると、自然とネガティブな思考になっていくのも実感として本当にわかりました
それでも、自分のパッションの源である、音楽をやりたい、という大好きパッションはずっと胸に抱いていたし
音楽をやることのさらに抽象化した考えとして、新しい事を世の中に生み出して、みんなの喜ぶ事を直接感じたい、ということはずっとあった気がします
それが、自分事としたときに、他人事としての会社のミッションやお客様の課題との交わりの部分に、オープンイノベーション活動が、はまったというところがあった気がします
それがどんどん大きくなって、その延長線上でもっと自分でいろんなことがやりたくなって、独立してしまったという事に結びついた気がします
高橋さんと同じように、1年間悩みに悩み抜いて、まさにマインドセットを180度変えないと踏み切れない事でありましたので、とても気持ちがよくわかりました
それができたのは、きっと、パッションの源であった、自分がやりたい事ってなんなのかを、ギリギリでも持ち続けていた事なのかなと
それが細々とでもやっていることによって、どこかのタイミングで、どうしてもやりたくて仕方がなくなってきてしまう
そうなったら、思い切って行動してみる、というのはアリな気がします
その時に大切なのが、哲学者三木清さんの言葉である、人生のゴールは成功ではなく幸福である、という事なのかなと
失敗をすることは、人生の彩りの一つであって、全く恥ずかしいことじゃないし、むしろ挑戦をした証であると
そしてそれは、その時は厳しかったけど、きっと笑えるネタとして、酒の肴になる日がくると
そして、イノベーションの世界でよく言われる、Fast Failの考えのように、その時点で違ったなと思ったら、方向転換をまたすればいい
起業家で成功している人に、最初のビジネスモデルがそのままの人がいないように、人生のモデルもどんどん変わっちゃっていい
でもそれを支えるのは、自分が心の底から何をしたいか、パッションの源を見つめながら、それを育てていくことなのかなと
高橋さんのお話を伺って考えさせられました
自分は何をしたいのかノベーション
情熱の源を常に見つめるということが大事だなあと
そんな事を思いました
そんな話をしています^ ^
参考:日経ウーマン 同僚の突然死 今を生きようと40代で海洋生物写真家に 高橋怜子 20年以上勤めた半導体メーカーを退職して「今はかみしめるような幸せがある」取材・文/竹下順子(日経xwoman ARIA)2021.04.16 https://woman.nikkei.com/atcl/aria/feature/19/032300090/041200001/?P=2
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