フランスの幸福論で有名な哲学者のアランさんのお話に考えさせられました
"悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する
成り行きにまかせる人間は気が滅入るものだ"
"アランのプロボより"
"不撓不屈の楽観主義"
"楽観主義は社会のための義務"
ここから私は以下のことを思いました
1、楽観主義は選択するもの
→ニーチェの解釈論
2、大義は楽観主義を連れてくる
→社会に実現したい夢を持つ
3、楽観主義は行動を促す
→レモネード
基本、自分は楽観主義なんで、みたいなことを言いつつも、夜中にどよーんみたいなことも多い私ですが
それは、性質ではなく、選択しているものなんだ、という事に、改めて勇気を頂けた気がします
ニーチェの真実はない、あるのは解釈だけだ、という言葉の通り、同じ事象でも表から見るか裏から見るかで、解釈は180度違っていいからこそ
どうやったら楽観を選択できるか、または笑うから面白くなる、じゃないですけど、何が何でも楽観を選ぶんだという、ここにはパッションがあるような気もします
そして、自分にとっての大義は何なのか?と少し抽象的かつ中長期的に考えてみるというのも、一つあるのではないかと思いました
自分だけが幸せになるのではなく、周りの人たちも幸せになることを考えるというのは、大きな意味で楽観的に捉えられるのではないかと
さらには、そんな楽観主義を選択するからこそ、一歩踏み出す事に勇気をくれるのではないかと思います
エフェクチエーションにおけるレモネードのように、酸っぱくて渋いレモンなんてどう考えても食えないと思う悲観主義を超えて
いやあそれが逆にいいんじゃない、という逆転の発想につながるからこそ、行動してみようという事につながるかと思いました
楽観主義は選択するもので、誰もがなれるものである
そのためには、自分の大義を考えてみたりしてもいいし
それによって、行動を促すことができて、新しい世界を拓くことができるかもしれない
楽観主義は選択するノベーション
そんなことを考えました
参考:ロッチと子羊 (69)「ロッチ セレクション編(1)」初回放送日: 2024年2月15日 https://www.nhk.jp/p/ts/N9GR16WRR6/episode/te/8M3Y84JYPK/
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