ピアニストの清塚信也さんの言葉に震えました
曰く
"だから、そうやって自分は演奏家になれるんだろうか?って、思うってことは
何を届けたら響くのだろうか?
と考えてることとイコールだから
それはね、ずっと持ち続けて。
たとえ売れたとしてもね"
1、何を届けたら響くのだろうか?
→大義
2、自らの届けたいことは何だろうか?
→パッションの源
3、そのために誰とやるのか?
→仲間
このことは、クラシックの演奏家に限らず、新しいことを創発したいと思う人に、共通のことかもしれないなあと思いました
ある意味、何らかの道のプロフェッショナルになるためには、誰かに何かの新しい価値を届けなきゃいけない
それは、自分は何を届けたら、届けたい人に響いてくれるのか、これを考え続けて、そして行動してるのが、プロフェッショナルなのかとつくづく思いました
確かに、清塚さんのコンサートは感動の連続でしたが、噺家のようなトークで何を届けたいのかを、ピアノだけじゃなくて、お話でもしてくれようとしてたんだなあと、今になって思いました
どんな手段でもそれは良いのかもしれなくて、自分だけが喜ぶことではなく、届けたい人も喜んでくれるもの、それは言ってみれば、大義、のようなものになるのかもなあと思いました
でも、それが小手先のものではなく、その人の心の底から溢れ出るパッションだからこそ、その大義は輝くということもある気がします
そういう意味では、自らが届けたいことがある、これが大前提にある上での大義じゃないとダメな気がしました
そして、今回の番組では、若手の各々の楽器でコンテスト優勝された方々が、一緒にアンサンブルをされたのですが
これこそ、1人でやるというのもいいけれども、仲間と集まるとまた全く別物を産むことができる、または1人だけでやらなくてもいい、みんなで実現すればいいのだ
という、仲間、についても、やはり欠かせないよなと、改めて思いました
自分が届けたい人に、何を届けたら響くのかが起点となって、自分なら何ができるんだろう、そして、誰とやったらできるんだろう
そんな順番に新しい価値が生まれていく
何を届けたら響くのかノベーションだなあと、思いました
そんな話をしています^ ^
参考:NHKEテレ東京 クラシックTV 2月15日(木)放送 「はばたけ!若き音楽家たちにエール」https://www.nhk.or.jp/music/classictv/491532.html
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