スタンフォード大学の名誉教授でもあった米国を代表する哲学者のリチャード・ローティさんの考え方に考えさせられました
指南役の哲学者の朱 喜哲(ちゅ・ひちょる)さん曰く
"小説など誰かを再記述する営み自体が公共的な目標のためにはより役に立つ"
人の苦痛や残酷さに対してのシンパシーが何よりも大事
感情がついてこなければ、そもそも理論が機能しない。
これを感情教育とローティは名付けている"
ここから私は思いました
1、自分の苦痛は自分で表現できない
少し離れた仲間が必要
2、第三者による表現が必要
小説、映画、音楽
3、感情を乗せた表現が必須
大義に感情表現が必要
本当に過酷な状況に陥ってる人は、自分でそれを表現や発信することはできない、という事実に改めて気付かされました
そのためには、誰かが気づいてあげる必要がある。それは、親密な仲間だと同じ境遇にいるか、少し離れた仲間が必要なんだなと
そしてその離れた仲間は、その事実を伝えるときに、報道のように単なる事実だけを伝えることでは意味がない
何故なら、伝わる人たちを動かすためには、感情を動かす必要があるためであると
その表現としてとても良いのが小説。でもそれだけではなくて、映画や音楽なども、感情を伝えるツールとしては、とても良いものかもしれない
人を本当に動かすためには、感情を乗っけた表現ができるようになっておく必要があるということでもあると思いました
それは、イノベーターが自分のパッションと仲間たちで、大きな大義を実現しようとする場合に
大義は、必ずしも論理的なものではなく、感情を動かす表現として伝えようとすることが、とても有効であるということにもなるかと思いました
つまり、我々は、本当に世の中を動かそうと思う人たちは
伝える手段として、感情に訴える方法
小説、映画、音楽、というものを縦横無尽に使いこなせることが必要なんだなと、目から鱗が落ちる思いでした
論理で考えたことも、感情を動かさないと伝わらない
感情教育ノベーションは、誰にも必要なことなのかもしれない
そんなことを思いました^ ^
参考:NHKEテレ東京 100分de名著 ローティ“偶然性・アイロニー・連帯” (4)共感によって「われわれ」を拡張せよ! 初回放送日: 2024年2月26日 https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/episode/te/6QRK3X8J98/