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本田宗一郎さんの言葉に、失敗に関する新たな気づきを頂きました

曰く

"わが国には「サルも木から落ちる」という言葉がある。慢心とか油断へのいましめである。心のゆるみだが、このための失敗には、私は寛容の心を持ち合わさない。

なぜかといえば人間に許される失敗は、進歩向上をめざすモーションが生んだものだけに限るのだと思うからだ。

しかし、私は猿が新しい木登り技術を学ぶために、ある試みをして落ちるなら、これは尊い経験として奨励したい。 "

ここから私は思いました

1、失敗には2種類ある

2、進歩向上を目指すモーションという大義があるか

3、自らのパッションの源に沿ってるか

イノベーションを進めるためには、仮説検証をしながら何度も失敗を繰り返していくことが必要、と言うお話を良しくていますが、その失敗の種類を問うと言うことも大事だなと改めて気づかせて頂きました

失敗には、2週類あって、慢心からくるものと、挑戦からくるもの、ここには大きな違いがあるということは、まさにその通りだと思いました

その違いを本田さんからは、"進歩向上を目指すモーションか"と言うことが大切であると言うことは、ある意味イノベーター3つのフレームからすると、大義に沿っているか?と言うことなのかとか思いました

また、もう一つとして、「自らのパッションに沿っているか」と言うことも大事かもしれないなと思いました

ある意味、やらされ仕事ではなく、自分自身のパッションが乗っかっている中での失敗なのか?自分自身としてやる意義を見つけられていたのか?と言ったようなポイントも自分自身として、チェックするとても大切なことかと思います。

もしパッションが乗っかってないのなら、自分軸と仕事軸(他人軸)のベン図の真ん中に何があるのかを今一度考えてみる、と言うことが大切な気がしました

失敗は人生の彩りであるとら哲学者の三木清さんが言われてますが、彩のある失敗にするためには、自らのパッションが乗っかってるか?、そして本田さんの言われるように、進歩向上を目指すモーションというような自らの大義に乗っかってるのか?

その上で、初めて失敗に意義が出てくる

その失敗に大義とパッションはあるんか?ノベーション

それとても大切だと言われている気がしました

そんな話をしています

参考: 本:やりたいことをやれ 著者 本田宗一郎   発行所:株式会社PHP研究所 製作日:二〇一四年九月二四日