所ジョージさんの言葉に震えました
"たのしそうなところにしか、集まらない
例えば、私がこうやってカチャカチャ面白ってやってるとすんじゃん
それちょっとやらせてくんないってなんじゃん
僕をみてるのは周りの人じゃないですか
で、朝、鏡で僕は僕のことを見るけど、朝だけですよ、自分のこと見るのは
あとは周りが僕をみてるわけじゃない
だから、うちのカミさんなんかに、あいつ面白かったな、とか言われたいし
周りの人に良かれということをすることが、自分が生きるってことなんだよ、ほんとは"
ここから私は思いました
1、自分が面白いか
→パッション
2、自然と人が集まる
→仲間
3、"周りの人に良かれということをすることが、自分が生きるってことなんだよ、ほんとは"
→大義
所ジョージさんの話は、まさに、パッションから始まり、仲間が集まり、そして大義が生まれるという、イノベーションサークルを、全く意識せずに実践されているんだなあということを、感じました
情熱の源で言うと、まさに大好きパッションから、全てが始まってるんだなあと、でもそれが、仲間を呼んで、自然と人のためになることになっていく、これこそ、昨日言ったイノベーションの民主化の一つだなあとも思います
もう一つ思ったのは、自分のことは自分では見れない、わからないと言うことかなと思いました
だからこそ、人からどう思われないかということから始まるのではなく、まずは、自分の情熱から始まることが大事ということを教えてくれた気がしました
それがないことには、仲間は集まらないし、本当の大義は生まれない
アドラー心理学の課題の分離のように、エフェクチュエーションの飛行中のパイロットのように、今自分がやりたいことに集中する
そして没頭まで、いくためには、チクセントミハイのフローのように、スキル軸と挑戦軸が高まったときに、全く周りが目に入らなくなるくらい没頭する
そうなると自然と人があっまってきて、大義が生まれてくる
そんな簡単なことなんだけど、ともすると人の目や、大義から入っちゃう、これはある意味問いをたてるではなく、問いを立てられている、そんな状態にもなってると言えるかなとも思いました
"周りの人に良かれということをすることが、自分が生きるってことなんだよ、ほんとは"
でもこれから始まるんじゃなくて
"例えば、私がこうやってカチャカチャ面白ってやってるとすんじゃん"
から始ま立てることが大切なんだろうなーと
所さんを見てると感じました
"私がカチャカチャ面白っ"から始まるノベーション
そんなことを思いました
参考:NHK あさいち 教えて先輩たち!vol.3 元気になるお悩み相談 初回放送日:2024年8月5日 https://www.nhk.jp/p/asaichi/ts/KV93JMQRY8/episode/te/425N77WQWW/
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