Listen

Description

哲学者の戸谷洋志さんのお話に目から鱗が落ちる思いでした

曰く

"自己責任論は一つの人間観を前提にしている。  それは、人間とはあくまでも自律的な存在であり、またそうあるべきである、という考え方だ。"

"他者との関わりから隔絶され、たった一人で物事を選択し、行為し、生きる、「強い」主体としての人間─それが、自己責任論において前提とされる人間像だ。"

"強い責任と、無責任さの間に、もう一つ別の責任概念が介在するのだとしても、決して問題はないはずだ。

筆者の考えでは、それは人間を、強い責任において前提とされるような「強い」主体ではなく、「弱い」主体─すなわち、一人では生きることができず、他者を頼らなければならず、傷つきやすさを抱えた存在─として捉えるような、責任概念だ。

本書はそうした責任概念を、「弱い責任」と呼ぶことにする。"

ここから私は思いました

1、自己責任の破綻のリスク

2、「仲間」で責任を果たす

3、頼れる仕組みづくり

何かを選択した際に例えばうまくいかないことがあったとして、自己責任だから仕方がないよね、ということは、いろんなところであるなあと、ある意味、それは当たり前のものとして考えていました

しかしそれは、もしかすると、自己責任で破綻するリスクがあることを、その人個人に背負わせている、そんな考え方があるのかと目から鱗が落ちました

考えてみれば、ゴールは自己責任でうまくできなかった人を糾弾する、または破綻に追いやることよりも、そう言ってもなんとかその人が、うまくいくようになることが、みんなが幸せになるってゴールな気がします

そうすると、そこをサポートすることがやっぱりあったほうがいいわけで、その一つの重要なファクターが「仲間」ということになるのかもなあと思いました

例えば、起業に踏み切った人がいたとして、ハイリスクハイリターンに、自分で突っ込んでいったんだから、自己責任なんだから、失敗したら路頭に迷っても仕方がないよね、と突き放す世界はどうなのかと

一方で、そのリスクがあるからこそ、背水の陣で、実力以上のものが出せるのだから、そういう人じゃないと資金は出さないし、それこそが起業の醍醐味、みたいな面もある気がします

これは、どちらがいいのか悪いのかというよりは、その人の性格によるところもある気がしますが、それでも、ナイスチャレンジってことで、なんらかの「仲間」がささえる、そんな世の中が、私はビビリなので好きな気がします

きっと大切なことは、自己責任という啖呵を切って始めたとしてうまくいかなかったとしても、そこで、誰かを自らが頼る、という選択肢を持っておくということかと思いました

その上で、そういう頼ってくる人たちを受け止めることができる、仕組みづくりということが、やはり大切になってくるなと思いました

それは、例えば最近では、クラウドファンディングで、資金が集められなくて美術品を守れなくなってしまいそうな美術館の例などを考えると、そんな仕組みの一つかなと思います

また、私が四半期に一度のタイミングで開催してるStartup Emergence Ecosystem(SEE)もある意味、何度でも挑戦できるプラットフォームとして、そんな仕組みのは一つになればいいなあとも思っています

自己責任の呪縛から解き放たれること、っていうことが、実は、特にイノベーションのように、挑戦する世界にはとても大事なのではないか

あいつが勝手に挑戦してダメだったんだから自己責任と、言わずに、何度も挑戦するように、仲間が支え合う世界が素敵だなあと、思わせていただきました

それが、実は、ゴールとしての、最終的な責任を果たす、と言うことに、実は繋がると言うところを、心に持っておくと言うことが大切かと思いました

一言で言うと

責任を果たすには頼るノベーション

そんな話をしています^ ^

参考:本: 生きることは頼ること 「自己責任」から「弱い責任」へ 二〇二四年九月一日発行 著者:戸谷洋志  2024 発行所 株式会社講談社