リチャード・ランガムさん、ブライアン・ヘアさん、ビクトリア・ウォバーさんの共同研究による「自己家畜化(self-domestication)」の考え方に衝撃を受けました
"人類の行動は、家畜化された動物の行動と似ていると考えられることが多い。"
"人間には、所属する社会集団内で争いを避ける傾向がある。われわれは多くの野生の哺乳類に比べて、非常に寛容だ。しかし、そのように温厚でありながら、別の面では非常に攻撃的な種であることもまちがいない。"
"私たちの社会的寛容は、「反応的攻撃性(reactive aggression)」が比較的低いことに起因する。一方、命にかかわるような暴力は、「能動的攻撃性(proactive aggression)」によってもたらされる。"
"「能動的攻撃性」は「反応的攻撃性」と対立するのではなく、それを補うものなので、反応的・感情的な攻撃性が進化の過程で抑圧されても、能動的・計画的な攻撃性は積極的に選択されうる。"
"人間は、完全な善でも完全な悪でもないのだ。われわれはふたつの方向に同時に進化してきた。"
ここから私は思いました
1、自己家畜化という進化の選択
2、寛容を補う暴力
3、倫理の対話
自己家畜化と聞くと、ネガティヴな印象を受けていましたが、ここで言われているのは、あえて、寛容な社会を選んだ進化のことを言われているのかなと思いました
それは、激昂するなどの、反応的攻撃性を極力抑えてきた、寛容を選択するという、集団の意思が働いたのかなと、それによって人類は社会的な協力という進化を遂げてここに至るということかなと思いました
しかし、衝撃的だったのは、それを補うシステムが必要とされているということで、それに反するものたちへの、例えば処刑という形での、能動的攻撃性によるシステムが、寛容を補う暴力として、同時に進化してきたということかと思いました
その際たるものが、戦争という形を取る、ということになると、戦争は無くせないのかという気持ちになってしまいますが
言葉が寛容を育てたように、そこにたくさんの考え方がある中での、対話による倫理という拠り所を支えにして、我々が実現したい大義としての人類の繁栄を目指すために、擦り合わせをしていくということが大切なのかと、改めて思いました
寛容という善と、暴力という悪は、補完しあって進化してきている、それをどう共存させるかが、我々のこれからの道なのかなと
善と悪は共存する前提ノベーション
そんなことを思いました^ ^
参考:本: 善と悪のパラドックス ヒトの進化と〈自己家畜化〉の歴史 2020年10月22日 初版第1刷発行 著者 リチャード・ランガム 訳者 依田卓巳 発行所 NTT出版株式会社