立花隆さんの、地球人以外に宇宙人はいるのか?の問いに対する考察に、考えさせられました
曰く
"実はいまから二百五十年も前に、哲学者のカント(天文学にも通じていて、最初の科学的宇宙論の構築者でもあった)が、他の惑星に住人が発見された場合に人間に及ぼすインパクトを論じたことがある(『天界の一般自然史と理論第三部』)。
それは、乞食の頭の中に住むシラミが、隣人の頭の中のシラミを見て、「われわれは全自然の中で唯一の生物ではないのだ。ほら、ここに新しい土地がある。ここにはもっとたくさんのシラミが住んでいる」というに等しいことだろうといった。
そして「シラミは自分の存在が自然にとって無限に重要だと思いこんでいたから」そのような反応を示したのだろうといった。そして、最高段階の存在者から見たら、ヒトもシラミも同レベルの存在なのにと笑った。"
ここから私は思いました
1、アンコンシャスバイアスからの問い
2、仮説検証の営み
3、ネガティブケイパビリティ
宇宙人を見た、見ない、フェイクだ、本物だというお話しは、私もついつい見てしまうのですが、それが本当かどうか別にして、私も大好きなテーマです
この問題への考え方の中に、未知の問題に対するとても大切な向き合い方が、あるような気がしました
一つは、アンコンシャスバイアスで、何らかのバイアスに囚われているのではないか?と疑う問いと、われわれは全てを把握できる、というある意味、無知の知、的な奢りがあるのではないかという問い、が大切かなと思いました
とはいえ、知らないことがあるから、いるに違いない、ということにも、ならないと言うところもとても大切で、その問いに対して、ここにイノベーションの種があると喜ぶと、いうのがイノベーターなのかなと思います
山口周さん的なアジェンダシェイパーからすると、まだ解決されていない課題があった、つまりそれは、イノベーションの種を見つけてしまったということに、ほくそ笑む、ということで、そういうテーマ大好き、ということになるのかもなと思いました
そこからは、イノベーターの営みの常套手段である、仮説検証の繰り返しということをしながら、それでも答えが出ないことがたくさんあるので
ジョンキーツさんのネガティヴケイパビリティで、簡単には答えを出さずに、粘り続けるという営みが辛いけれども、大切になると思いました
その中でも、本当にこの議論でいいのかというクリティカルシンキングや大前提が違っているのかもしれないというラテラルシンキングを、ずっとやり続けることになる、イノベーションの道のりは本当に光が見えるかわからないところまで暗闇ということかと思いました
宇宙人がいるのかどうか、というような、ずっと解決できていない課題、これを見つけることが、イノベーターの喜びであり、そしてそれを!諦めずに置い続けて光が見えなくとも仮説検証を繰り返す
そういういつか報われるかどうかわからないけれども、世代さえ超えて、ネガティヴケイパビリティを保ち続ける、それが、地球人のイノベーターのあり方なのかなあと思いました
永遠の問いこそイノベーターの喜びノベーション
そんなことを思いました
参考:本: 四次元時計は狂わない 21世紀 文明の逆説 2014年12月20日 発行 著者 立花隆 発行所 株式会社文藝春秋