丹後半島で農業を営む梅木好彦さんと、全盲ろうの妻の久代さんとの生活と言葉に、感動いたしました
好彦さん曰く
"農業だけじゃなくて、人間の生活の中には、食べものとか、衣食住を作っていく喜びっていうものとは別に
困ってる人を助けるいうかね、まぁ僕らが元気な元気な間は、お互いに助け合う。
そういう働きも、こう生活の中で必要だって言うことがわかってきて"
ここから私は思いました
1、生活は創造
2、誰もが創造者
3、創造者には大義がある
1、生活は創造
梅木好彦さんは、高校生の頃から農業を志し、そして自給自足の農業をするべく、田舎暮らしの丹後半島へ移られたとのことですので、ありとあらゆること、例えばカンジキが壊れたらパイプと紐で代用品を創り、というような、とても創造的な生活をされてきたんだと思います
そして、久代さんにおいても、全盲ろうでありながら、料理もするし、パソコンでメールも打つし、そして友達に衣類まで作ってあげてる、こちらも本当に創造的な生活をされてるなあと思いました
哲学者の、西田幾多郎さんが、この世は"創造的世界の創造的要素"として我々がいる、というようなことを言われていましたが
実は我々の生活するという行為自体がとても創造的な活動なのだということを、改めて教えていただいた気がしました
2、誰もが創造者
このお二人のことを見ていると、京大・ハーバード大学の広中教授の、編み物をする人だって、庭木の手入れをする人だって、みんな創造者である、というお話を思い出しました
つまり、何らかの新しい価値を、どこかで困ってる人のために、何とかしてあげる、そのこと自体が実は、とても創造的な活動なのである、ということだなあと思います
つまり、好彦さんも久代さんも、誰かのために何らかの価値の創造物を、届けてあげたい、という気持ちがひしひしと湧いてきたのかとも思いました
都会ではなく、全てが削ぎ落とされている、田舎だからこそ、誰もが創造者だったなあということを思い出させてくれるなあと思いました
これは、北の国からの、吾郎さんもとてもクリエイティブだったし、実は私の父も本当に田舎育ちだったからか、とにかく家のことから庭のことから何でもできる人だったなあと、そして創造者だったなあと改めて思いました
3、創造者には大義がある
農業で食べ物があって、住むところがあって、着るものがあって、という衣食住以外に、実は人間の生活で忘れがちだけど大切なことを教えて頂いた気がします
それは、好彦さんがまさに言われる、"困ってる人を助ける"ということ自体が、実は衣食住と同じように、我々の生活には欠かせない要素なんだなあとつくづく思いました
私がいつもお話ししているイノベーター3つのフレーム(イノベーター・リップルモデル)は、パッションから始まり、仲間ができて、そして自分だけが楽しんじゃなくて社会の誰かも喜んでもらえる価値を提供する、というフレームですが
今回の好彦さんの誰かのためになること、っていうのは、情熱の源のパッションから始まっていた農業と食うこと、住むこと、で良かったのですが
実はもっとたくさんの人たちの課題感にフィットするようなところに辿り着いた瞬間から、生活の一部として、誰かのために何かをする、ということが、当たり前の生活をする大きな鍵の一つになるのかもしれないと思いました
ということで一言で言うと
人間の生活には助け合う働きがあるノベーション
そんなことを思いました^ ^
参考: NHK:時をかけるテレビ 池上彰 見えず聞こえずとも 夫婦ふたりの里山暮らし 2025/6/20
https://www.nhk.jp/p/tokikaketv/ts/WQGK99QWJZ/episode/te/KPM69XJ324/
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