ドキュメンタリー作家の沢木耕太郎さんの言葉に、深く考えさせられました
曰く
"「ありえたかもしれない人生」には、もう手の届かない、だから夢を見るしかない遠さがあるが、「使われなかった人生」には、具体的な可能性があったと思われる近さがある。"
"では、もしその人に「使われなかった人生」を惜しむ気持が起きたとしたら?
映画『旅する女 シャーリー・バレンタイン』がほのかに暗示していたのは、「お使いなさい」ということだった。
その「使われなかった人生」を「お使いなさい」と。あるいは「使う」のがいくらか遅れたかもしれない。だが、もうまったく使えないというのでもないはずだ。"
"使わなかったという自覚は、単に後悔したり追憶にふけるだけでなく、いまからでも使ってみようという未来に向けての意志を生む可能性がある。"
ここから私は思いました
1、忘れられたパッションの源
2、創造的再生への道
3、実存の遅延
30歳くらいの時に、俺は音楽で生きて行くために、ボストンのバークレーに留学するので会社辞めます、だったり、もしそっちの人生に行ってたら、どんな使われなかった人生があったのだろう、みたいなことを考えることはあります
1、忘れられたパッションの源
多分そんなことって、一人一人の人生には必ずいくつもあって、それを考えながらも、もしかしたら後悔しながらも、今を肯定して生きてんだろうなあと思います
でも、それを一旦、棚卸してみる、と言うのも、実は、人生が終わっちゃう前までには、やっといた方がいいのかもしれないと思いました
私はイノベーションのセッションの中で、皆さんのパッションの源は何なのかを改めて考えてみようと言うコーナーもあるのですが、その際には、例えば、就職の際にどんなことを夢見て会社入ってきた?とか、学生の頃に何考えていた?とかを、思い出しながら
実は自分の心の中にたぎってるのに、忘れちゃってるパッションの源も引っ張り出すと、更なる忘れていたパッションの源をおもいだすことがままあります
実はそれは表面化されてないだけで、自分に激っている、いつかやってるパッションの源を再発見することができるのではないかと、そして、それを元に改めて始めてみると言うのもありだよなあとも思います
2、創造的再生への道
そして実は、使われなかった人生、忘れ去られたパッションの源、そしてそれが今は後悔という殻をかぶってしまっているものは、例えば前に進めなくなってしまった時に、再び光り始めるための導火線になる可能性がある、と言うことに感動しました
認知神経科学者のダニエル・レヴィティンさんは、以下のように言われています
「後悔は、自己の物語を構築するための貴重な情報であり、未来志向の意思決定に生かすことができる」
つまり、後悔は、「使われなかった人生」を再び動かしてくれるダイナモにもなるということは、例えばうまく行ってなかったとしても、そこに後悔があるのであれば、やり直せるのである、という逆に力強いメッセージと捉えることもできるなあと思いました
3、実存の遅延
そしてこの話は、ある意味、それに手遅れはないのである、ということも教えてくれてる気がします
我がアカペラグループの、中年不思議国というオリジナル曲の中に、人生大器晩成、という歌詞がありますが
やなせたかしさんが60歳を超えて、アンパンマンがブレークしたように、カーネルサンダースさんが65歳からKFCのフランチャイズ展開をし始めたように、ロジャーペンローズがブラックホール理論で80代後半でノーベル物理学賞を受賞したように
フランスの哲学者のガブリエル・マルセルが、「人間の実存は、常に開かれており、遅れて届く恩寵に出会うこともある」
と言われた通り、人生における最大の実存は、遅延してくるのである、ということも思わせて頂きました
ということで、一言で言うと
「使われなかった人生」を「お使いなさい」ノベーション
自分の昔のパッションの源や、後悔を思い切って棚卸してみる、そして、使われなかった人生、と出会い直し、やおら使ってみるかと、行動
素敵なお話だと思いました^ ^
参考:本:世界は「使われなかった人生」であふれてる 平成26年2月発行 著者 沢木耕太郎 発行所 株式会社幻冬舎
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