手塚治虫さん原作のブラックジャックのミュージカル舞台に、感動と共に、いのちについて、改めて考えさせられました
脚本家の鈴木聡さん曰く
"ブラック・ジャック』には数々の魅力的なキャラクターが登場しますが、中でも僕が惹かれたのがドクター・キリコです。
苦しみ、生を望まない患者には安らかな死を…というキリコは、悪者を助けることに全力を注ぎ、生に執着するBJ(ブラック・ジャック)の対極にいます。
そしてビノコ。
BJの神業のような技術のおかげでこの世に生まれ出たピノコは、無条件で生をエンジョイしています。
人の世の醜さ、愚かさに直面し、時にやさぐれた気分になるBJにとってビノコは希望そのもなのかもしれない。そんなことを考えながら、この三人の関係を物語の一つの軸にしようと思いました。"
ここから私は思いました
1、応報主義vs功利主義
2、生きることへの無垢の肯定
3、アッチョンブリケ
ブラックジャックは、最近、寝る前に必ず読む本として枕元においています。以前読んだ時と、今読むとでは、また、まったく違う気持ちにさせて頂けるので、本当にすごい作品だなあと思います。
様々な舞台や映画、ドラマにもなっていますが、ついにそのミュージカル版ということで、万難を廃して観させて頂きましたが、めちゃくちゃ素晴らしい作品でした。それと同時に、いのち、について、深く考えさせて頂きました
1、応報主義vs功利主義
マイケル・サンデル教授の、「これから正義の話をしよう」で象徴的に取り上げられている考え方として、二つの主義があって、改めて考えさせられました。
「功利主義は、ある行為が最大多数の最大幸福をもたらすかどうかで、その正しさを判断する。一方で、応報主義は、道徳的に正しい行為かどうかを問う」
つまり、キリコが支持する安楽死は功利主義側で、ブラックジャックは応報主義側で、どちらの正義が正しいのか、という構造を否応なしに考えざるを得なくさせてくれます。
果たしてそこに答えはあるのか?しかし、現実の世の中では、例えばスイスでは、芸術家のゴダールが、たくさんの人の前で安楽死を選択したというニュースがあったり
我々の現実に手塚治虫さんの慧眼がどんどん近づいてきている、そしてそれに何らかの答えをださなければならない、深く考えさせられました
2、生きることへの無垢の肯定
そうした中での、ピノコの存在が、また一つの大きな救いでもあり、揺らぎをもたらすと思いました
ピノコは、本来は生まれるはずのなかった体の部品を、ブラックジャックの圧倒的な医術によって、つなぎ合わせて1人の人間として生まれた存在として、生きることへの純粋で無垢な思いが形作られた象徴のように思えます。
保育の加用先生の、光る泥団子、のように、子供が一心不乱に泥団子を作り続けることに、とてつもない生きるエネルギーを感じるのと同じように、ピノコが本当は18歳なのに、子供のように純粋にブラックジャックを愛して怒って泣き叫ぶということが、実は「希望」なのかもしれないとの、鈴木さんのお話に、とても感動してしまいました
そのような生まれたての子供のように、ただ生きることに、いろんな葛藤も全て吹き飛ばして、今を生きる、それがとても大切なことだと教えてくれてる気がしました
3、アッチョンブリケ
そして、そんなピノコが、困った時に必ず発する言葉、アッチョンブリケ、今回の舞台でももちろん登場しましたが、何の意味もない言葉である、ということが、またとても素敵だなと思いました
以前、1503回目に私がお話しした、オノマトペ・ノベーション、を思い出しました。オノマトペ研究家の藤野良孝さんから、言語化できない言葉(感情、思い)というものがあって、それをそのまま発するということの大切さを、改めて思いました
純粋なるいのちである、ピノコが、何らかの大変なことや、苦しいことに遭遇したときに、意味のない、アッチョンブリケを叫んで、全てを乗り越えていく、言語を超えたコミュニケーションであり、最も原始的な魂の叫びのような、それでいて誰もを絵がをにしてくれるような、そんな力を感じました
何が正解か、正義が、わからない中で、純粋にただ、いきる、ことをさけぶ、それだけで、または、それこそが、正義なのかもしれない
一言で言うと
アッチョンブリケ・ノベーション
そんなことを思いました^ ^
参考:ミュージカル ブラックジャック 原作 手塚治虫 脚本 鈴木 聡 演出 栗山民也 主演 坂本昌行 矢吹奈子他 企画協力 手塚プロダクション 企画・制作 エイベックス・ライヴ・クリエイティヴ https://musical-bj.com/cast.html#staff