Listen

Description

サッカー日本監督の森保一さんの言葉が刺さりました

曰く

"攻勢でも、守勢でも、うまくいっていても、うまくいっていなくても、全部「自分が主体』で対応するということ。

うまくいっているときは自分で、うまくいっていないときは自分じゃないではなくて、全て自分に起こり得ることであって、自分が主体でその現実を乗り越えていくということをやってほしいなと思います"

ここから私は思いました

1、最後の自由

2、守勢の意味

3、自由の勇気

1、最後の自由

なかなか劣勢の時に、自分を見失わないというのは、本当に難しいと思います。もうこんなにダメなんならもういいや、と思ったり、今さやってもダメだよ、と投げやりになったり

そこを踏みとどまって、普段の自らの主体で考えられるか、ということが、その時点でもその後にも、ものすごく大切なこととして効いてくるというのがよくわかりました

夜と霧、で有名な心理学者のヴィクトール・フランクルは、

「あらゆるものを奪われた後でも、最後に残る自由がある。それは、どのような状況に対しても、自分がどのように反応するかを選ぶ自由である。」と言われています。

極限の状態まで追い込まれても、最後の最後にどんな反応をするかの自由は、自分にある

これはニーチェの、真実はない、あるのは解釈だけだ、の延長線上の話として、とても心に響くなあと思いました

つまり、どんなに劣勢でも、その意味をどう解釈するかの、自由、または、余地は、自分の中にある、だからこそ、パッションの源を普段から意識しておく必要がある、と思いました

2、守勢の意味

そこで、大切になるのが、そこにどんな意味や解釈をもたらすのか、ということかと思います。

そこで思い出すのが、哲学者の、三木清さんの、「失敗は人生の彩りの一つである」という言葉です

つまり、ここで、失敗または、守勢に回ってることも、人生の中では振り返るととても素敵なことになる、そんなことかと思います

また、ノーベル化学賞を取られた、青色LEDの天野浩さんが言われていた、「自分の失敗も人のためになる」というお話も思い出しました

自分たちはここでは勝てないかもしれない、でもこのことが次世代のチームが勝つための資金先になるはずだ、みたいなことを思うことで、守勢や失敗の意味をポジティブに捉えることができなあと思いました

3、自由の勇気

その上でどんな行動をするのか、ということが最終的求められるわけですが、上司がとてつもなく怒ってる、お客様に謝罪しまくってる、みたいなことが起きてると、心が麻痺して、とにかく謝るだけの思考停止にも落ちかねないとおもいます

ドイツ出身の社会心理学者エーリッヒ・フロムは、『自由からの逃走』の中で、「自由とは、外部の命令からの解放であると同時に、自分の内なる良心の声に従って生きる勇気である」と言ってます

つまり、最後の行動まで起こすための、自分の心に従う、勇気、これが最後にはとても大切になるということを教えて頂きました

ということで

一言で言うと

攻勢でも守勢でも「自分が主体」ノベーション

そんなことを思いました^ ^

参考:NHKアカデミア 森保一監督(後編)  NHK アカデミア 第 13 回サッカー日本代表監督 https://www.nhk.or.jp/learning/assets/pdf/D0024300113_00000.pdf

動画で観たい方はこちら

https://youtu.be/jAcS1HUR61M