立花隆さんより、NHKスペシャル番組『臨死体験 死ぬとき心はどうなるのか』のディレクター、岡田朋敏との対談での発言に、死と生をめちゃくちゃ考えさせられました
岡田さん曰く
"臨死体験者の話に耳を傾けると、最後に自分というものが世界と一体化する、そういう表現をする人が実に多いですね。
実は、先ほど話に出た明晰夢の研究をしているラバージも、夢の最後に見る「自分の死」のイメージは、いつもそういう体験なのだそうです。
彼の言い回しで言うと、「自分はずうっと落ちていく雪のようなもので、最後に海にポチャンと溶けて自分がなくなってしまう。そして最後に自分は海だったと思い出す」"
ここから私は思いました
1、死ぬとは、繋がりに還ること
2、生きるとは、繋がりに向かうこと
3、繋がりを知るために、一度離れてる
1、死ぬとは、繋がりに還ること
ここで言われてるのは、死ぬとは、大きな繋がりの中に帰っていくことなのかと思いました。
ここで出てくるラパージさんは、以下のように言われています
「死とは終わりではなく、意識の変容として夢の中で再体験される。そこでは個は消えるのではなく、全体に統合される」
つまり全体に統合されるとは、繋がりに変えると言うことなのかなあと思いました
2、生きるとは、繋がりに向かうこと
では、生きるとは、どう言えるのか?ということを考えた時に
アドラーさんの共同体感覚を思い出しました。曰く
「真の健康とは、他者と共にあること、共同体とつながっていると感じられることである」と言われています
また、マズローの5段階で有名な、自己超越「自己超越とは、自己を超えて、他者、人類、自然、宇宙、あるいは神といったものに奉仕すること」と言われてる通り、自分を超えていくこと、つまりは境界をなくしていくことに幸せを感じるのではないか
もっというと、イノベーター3つのルームワークでの、パッション、仲間、大義も、最初は一人から始まるが、最後は他の人の幸せと一体化していく、
つまり、生きると言うことは、繋がりを求める、と言うことなんじゃないかと思いました
3、繋がりを知るために、一度離れてる
じゃあ、そんなに繋がりが好きなら、出てこなきゃいいのに、と思うのですが、
そこで心理学者のジョン・ボウルビィさんが、
「私たちは他者から切り離されてはじめて、再び結び直す術を学ぶ」
と言われている通り、繋がりの中にいては、それを感じることができないため、あえて苦しい孤独を選んで、そしてそこで繋がりを初めて認識して、また求めたくなってくる、そんなことかなと思いました
つまり一言で言うと、我々は、
繋がりを知るために生まれてきたノベーション
そんな話をしています^ ^
参考:本: 死はこわくない 2018年7月20日
著者 立花隆 発行所 株式会社文藝春秋