鬼滅の刃無限城編第1章猗窩座再来観させて頂き、感動と感涙に包まれました
プログラムに胡蝶しのぶさんの声優の早見沙織のインタビューがあり、さらに痺れました
曰く
"『第一章』ではありますが、スタッフもキャストも、すべての力を振り絞って制作にあたりました。きっと、関わった人間ひとりひとりの想いの大きさを、戦いを注視する中で皆さんにも感じていただけると思います。
その中でも個人的には、鬼側の視点の物語がしっかりと描かれていることに注目してほしいです。童磨はもちろんなんですが、獪岳や猗窩座のエピソードも原作のときから皆さんの印象に残っていると思います。
それに演出や音楽が乗り、よりすばらしいシーンになっておりますので、しっかりと心に刻み込んでいただければと思います。
それと、映像面では無限城の表現にも注目していただきたいです。''
ここから私は思いました
1、2Dと3Dの無限城での掛け合わせ
2、勧善懲悪と二つの正義
3、自己実現の闇
1、2Dと3Dの無限城での掛け合わせ
とにかく無限城の、文字通り無限に広がるお城というか、お屋敷というか、その無限さは一つの都市のような、縦横無尽に広がっていく様は、3DCGで作られていたとのことです。
通常だと三部作で10年かかるところを、制作チームの編成やマシンスペックやあらゆる手段を講じて、締め切りに間に合わせたとのこと。
かつその3DCGの上に、今度は物凄い迫力で罠を繰り出し合う、鬼殺隊と鬼との攻防が繰り広げられる2Dの世界が重なり合う形になるので
まさに3DCGの先進技術と、アニメーターのクリエイティブがかけ合わさる、凄まじいイノベーションが起きてるのだなあと思いました
2、勧善懲悪と二つの正義
基本的には、鬼殺隊が鬼を退治するという、桃太郎から連なる勧善懲悪の世界として、ハリウッド映画のような善が悪を懲らしめるとちう爽快感がとても楽しいと思います。
一方で、実は鬼にも鬼になった深い理由があるというところが、この物語がとても深く考えさせられるところで、私の大好きなテーマです。
レミゼラブルにおけるジャンバルジャンと警官、進撃の巨人の塀の中と外の人たちは、各々の正義に真摯に向き合った上で、それに正直に生きようともがき苦しむ、それと同じ構造が、鬼滅の鬼に感じられて、その鬼にならざるを得なかった物語に号泣してしまいました
勧善懲悪でスッキリしつつも、実はどちらにも正義と真実があるのだという、無情感、この2つが同居してるのが、とてもイノベーティブだと思いました
3、自己実現の闇
そして、この鬼にならざるを得なかった鬼にも、実は誰もがなる可能性があるということが、大きなメッセージになってると、私は感じています
心理学者クレイトン・アルダファーのERG理論では、マズローの5段階の欲求をE:Existence(存在欲求)、R:Relatedness(関係性欲求)、G:Growth(成長欲求)の3段階に分類し直して
「ERG理論は、複数の欲求が同時に作用することを想定している。また、より高次の欲求が満たされない場合、より低次の欲求を満たそうとする欲求が増す(欲求のフラストレーション-退行効果)」
と言われてます。つまり、高次の成長欲求である自己実現ができなかった場合、一つ下の関係性欲求に退行してフラストレーションとともに、例えば承認欲求がより強まり、時には破壊的な方向に向かうこともある
パッションの源における、成長・脱出パッションは、イノベーターとなっている方が幼少期にあまり恵まれてない環境だった方に強く現れることがありますが、必ずしも良い方向に行くばかりではなく、時には破壊的な方向に炸裂することもある
そんなことを考えると、鬼になる可能性は、本当に誰にでもあるということが、より強く感じるなあと思いました
ということで
圧倒的な先進技術と職人技の融合、そして、勧善懲悪でありながらの二つの正義、さらには、誰にでも鬼になる可能性はあるという気づきを、頂けました
鬼滅の刃は本当に深いなあと
一言で言うと
鬼滅ノベーション
そんなことを思いました^ ^
参考:映画:鬼滅の刃 無限城編 猗窩座再来 第1章 原作 吾峠呼世晴 監督 外崎春生 アニメーション制作 ufortable https://kimetsu.com/anime/
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