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絢爛豪華な美しさと、壮絶な歌舞伎役者人生を、衝撃と共に観せて頂いた、映画:国宝ですが、監督の李相日さんの、本作への想いに、心震えました

李そん曰く

"もちろん、本業の歌舞伎役者さんであれば舞台のシーンはスムーズに撮れたと思いますし、より質の高い歌舞伎の演目として映ったかもしれませんが、初めからその考えはありませんでした。

歌舞伎を見せる以上に、歌舞伎役者の生き様”を撮りたかった。畑違いで当初は踊ることも、歩き方もおぼつかなかった人たちが挑むからこそ、"完成されたものの先"に届くような気がしたんです。"

ここから私は思いました

1、未完成の美学

2、専門外へ挑戦する勇気

3、生き様を遺す

1、未完成の美学

イノベーションの宿命として、常にイノベーティブであり続けなければ陳腐化に追い越されると言うことがあると思います。つまり、それは、ある意味、常に未完成であり続けるということこそ、すごく大切な要素ということかと思います

心理学者のミハイ・チクセントミハイさんのフロー理論では、いかに没入状態に入れるかが、創造性を最大限に発揮できるための条件という話がありますが

曰く

「創造的な人々は、必ずしも完成された存在ではない。彼らは矛盾を内包し、未完成であることに耐えながら、絶えず自己を再構築する」

と言われております。挑戦軸と技術軸の両方が高みに入った時こそが、フロー状態を引き起こしてくれるので、例えば今回の役者が歌舞伎役者だった場合には、ここまでの挑戦軸とはならずに、もしかしたら、フロー状態を作り出すことはできなかったのかもしれない

そんなことまで考えたキャスティングだったのかもしれないと感動しました

2、専門外へ挑戦する勇気

イノベーションの世界では、専門分野を超えた越境人材たれ、みたいな話がよくありますが、今回は、歌舞伎の世界という、とても閉じられた空間に対して、俳優や映画人が、歌舞伎の世界を表現するという、とてつもない専門外への挑戦であり

かつ原作の濃厚な表現をどこまで表現し切れるのか?という、渡辺謙さんも、本当にできるのか?と言われていたくらいの、大きな挑戦でもあったのかと思います

組織学者ドロシー・レオナルドとウォルター・スワップは「知の多様性と創造的摩擦」の中で

「イノベーションは、異なる知識体系や視点が出会い、摩擦を生むところに生じる。それは専門家の集まりではなく、異質な者たちの交差点である」

と言われています。つまり、今回の映画は、専門家の歌舞伎役者だけでやるのではなく、専門外の異質なものたちが掛け合わさることによって、唯一無二の国宝という映画に昇華した、そんなことを思いました

3、生き様を遺す

内村鑑三さんの、後世への最大遺物、の話の通り、後世へ遺すべきものとしては、思想、ビジネス、お金、そして誰でもが残せるものとして、生き様がある、というお話ですが

この映画の場合は、物語としての歌舞伎俳優の生き様と、そして、その演技をする吉沢さんや横浜さんの一年半以上にも及ぶもう稽古と、役になりきる生き様の両方が、映像に残されているという意味で、その熱量と気迫を感じさせて頂いた気がしました

経営学者のサイモン・シネックさんのゴールデンサークル理論では、

「人々は“何をしているか”ではなく、“なぜそれをするのか”に共鳴する。『なぜ』に根ざした活動こそが革新を生む」(2009)

の言葉の通り、なぜそこまでするのか、という問いへの答えとしての、物語の主人公、そして演ずる役者への双方への、生き様が、この映画に貫かれているところに感動させて頂きました

ということで、映画:国宝は

イノベーション同様に未完成の美学を追求し、さらに専門外へ挑戦する勇気を見せてくれた、俳優と物語の主人公の生き様を遺す、そんなエンタメだったと思いました

そんな話をしています^ ^

参考:映画 国宝 原作:吉田修一「国宝」(朝日新聞出版刊) 監督:李 相日 脚本:奥寺佐渡子 音楽:原 摩利彦 出演者: 吉沢亮/横浜流星/高畑充希/寺島しのぶ/渡辺謙 等 https://kokuhou-movie.com

動画で観たい方はこちら

https://youtu.be/van8JAs3hzA