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編集工学研究所の代表の安藤昭子さんから、プラトンのトイのパラドックスに関する、一つの答えをいただき、震えました

"人間には、知っていることも知らないことも、探究することはできない。知っていることであれば、人は探究しないだろう。その人はそのことを、もう知っているので、このような人には探究など必要ないから。また、知らないことも人は探究できない。何をこれから探究するかさえ、その人は知らないからである 『メノン 徳(アレテー)について』プラトン(光文社)"

安藤さん曰く

"ポランニーの言葉を借りれば「無意識のレベルにおいてすでに知っていることを、意識のレベルにおいて発見すること」が、知的探究の正体である。「着想を得る」といったはっきりとした気づきから、「虫の知らせ」のような途方もなく曖味なものにいたるまで、この意識への浮上のメカニズムによって人は「問いのパラドックス」を突破している。"

ここから私は思いました

1、暗黙知に問いの正体がある

2、問いとは極めて個人に閉じるもの

3、暗黙知を形式知化するために問いがある

1、暗黙知に問いの正体がある

プラトンの問いのパラドックスというのも、実はここで初めて伺って、めちゃくちゃ勉強になったのですが、それへの新たな一つの答えの考え方を伺って、打ち震えました

通常よく使われる暗黙値は、ベテランの方の技能がその人個人に埋もれているような、お話しなのですが、ここで言われている暗黙知は、自らの中にある、説明できない違和感みたいなことかと思いました

私はイノベーションの種を見つける際に、違和感を大切にしようと、いうお話をよくしているのですが、確かに、その違和感自体がなぜ起きるのかがわからないければとも、なんか嫌、ということが沢山あるなあと思いました

それは実は、自らの中で沸々と湧き上がる思いがあるのだけれども、まだ言語化できる段階にない、暗黙知というものが、その正体としてあったのだという気づきに愕然としました

それをなんとか形式知化して、世に問いとして明確に打ち出すまでに、何度の自分の中で、その違和感の正体を仮説検証で探っていく、それが実は、問い自体を明確化していく一つのステップなのだと、改めて認識しました

もしかすると、明確な問いにはならないけれども、様々な角度から、形式知化していけた問いを繰り出しながら、その暗黙知として問いをあぶり出す、そんなことなのかもしれないなと思いました。

2、問いとは極めて個人に閉じるもの

よく私は、自分軸と、他人軸があって、自分軸はパッションの源、他人軸は会社や家族というようなお話ししていて、各々独立しているんだけれども、そのベン図の真ん中にくるものを創発することができれば、幸せな時間をより増やすことができるのではないかと思っています

その際に、他人軸は、問いを立てられるものなので、自分軸を、徹底的にパッションの源の中を覗かないと、実は、問いを立てるのいうのは難しいというお話をしていますが

その理由が、自分自身の暗黙知を探る作業なためにあるということが、今回よく理解できました。

人に言おうとしても、形式知化できていないものは、他人も理解できないし、まして自分自身も納得できないということになるので、問いを明確に生み出すことは、自分のパッションの源を見つめながら、暗黙知の感覚を研ぎ澄ましていく、そんな作業なのだなあと改めて思いました

3、暗黙知を形式知化するために問いがある

今回、本当に衝撃的だったのは、自分の中の暗黙知を形式知化することが、実は、自分の中からの問いを明確化するということにつながるのだということでした

プラトンの問いのパラドックスのように、いつまでだっても問いを立てることが困難であると思う中で、実は、第六感や違和感、虫の知らせのような形で、実は、自分が問いの形を、暗黙知から形式知化しようとしている

それこそが、自らが新たなフィールドへ好奇心の旅を促す原動力になるのだということが、よく理解できました

日々の違和感、第六感、虫の知らせなど、説明できないけど、むずむずすることに、ネガティブケイパビリティを用いながら、諦めずに探求していこうと思いました

それこそが、自分自身をきっとまた違うどこかへ連れて行ってくれる道標になるのかもしれないなと思いました

ということで、一言で言うと

問いのパラドックスは暗黙知で解けるノベーション

そんなことを思いました@

参考:本: 問いの編集力 思考の「はじまり」を探究する 2024年9月20日 電子書籍版発行 著者 安藤昭子 発行所 株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン