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カトリック司祭の後藤文雄さんのボランティアに関する体験と考え方に、イノベーションの真髄をみた気がしました

曰く

"これはほっとくと死ぬかもしれないというので、そのブラザーと一緒に2人で抱えて、ええ、ブラザーの家まで引きずっていったわけですね。

で、その時に、もう本当に失禁してますから、この人の履いてる長靴の中も、もう肥溜めみたいなもんです。そしてもうびちょびちょで私の服まで汚れてきまして、それが臭くて嫌で、もうこの方を運んでいって、体拭いてあげて、そして寝せてあげてから

こんなことをしたら能率悪いからね、私はどっかのリアカーを借りてきて、これで運ぼうよと言った時に、その彼がね、あのリアカーは、物を運ぶには都合がいいけれど、人間を運ぶには都合が悪いんです。

へえ、びっくりしましてね。人間はね、人間らしく運びましょうと。僕よりもちょっと若い人のブラザーが私に教えてくれたんです。

そして人間らしくてって、どういうことだと思ったら、その歩けないその下半身もずぶずぶになっている、その人を引きずってでも、自分の服が汚れてでも、その人の痛みを共にしながら、あなたも腰が痛いでしょうと。

その痛みを共にしながら運ぶんですと。リアカーだとその痛みを感じません、というような教えをいただきまして、それはまた私の新しいボランティアの考え方、そしてそれに支えられました。"

ここから私は思いました

1、現場100回

2、助ける側と助けられる側

3、どこまで痛みを共にできるか

1、現場100回

後藤さんは、上野で見た震災孤児の姿に衝撃を受けて神父になって、カンボジア難民の子供の里親として14人を育て、さらにカンボジア全土に19の学校を建設されたという、それだけで感動的な話なのですが

この現場で体験したお話が、本当の現場を今見て感じているような気がするほど、真に迫っていて衝撃をいただきました

テレビやSNSで知る情報では知り得ない現場の息づかいを知ることができるのは、絶対に現場に行かないとわからないし、そして、実体験として五感を使った体験をしないと、絶対にわからない

それは、イノベーションを行う上での、真の課題はなんなのか?を本気で探索するとは、どういうことなのか?ということを教えてくれてる気がしました

2、助ける側と助けられる側

リヤカーの話は、自分もそうしてしまいそうだなあと、ハッとしてしまいました。

どうしてもその場で短期的にたくさんを助けるためには効率的にと考えてしまいそうですが、それでは、きっと真の課題には辿り着けずに、その場を助ける側の論理に夏までしまう可能性もあるなと思いました

例えば、介護施設の現場などて、とても多忙なために、効率的に仕事をこなすことが、1番のミッションになってしまって

介護される方々が、本当に必要としている、お話を聞いてあげるとか、声をかけてあげるとか、そういうことが、なかなか難しくなってしまうようなことにも通じる気がしました

ボランティアに限らず、何かソリューションを提供する側と、提供を受ける側に、実は大きな意識のギャップが生じてるということを、意識しておく、ということを肝に銘じておこう、思いました

3、どこまで痛みを共にできるか

新規のビジネスやソリューションを考える時に、共感とインサイトをデザインシンキング的に、検討をすることも多いですが、どれだけそこにある痛みを自らのものとして体感できるかが、本当に大切だしなかなかできないポイントなんだろうなあと感じました

それは、最終的には、どこまでそこにある痛みを共に感じることができるか、さらにいうなら、痛みを共にすることができるか、ということにかかっているのかもしれないなと思いました

後藤さんが、この痛みを知って、神父になり、14人のカンボジアの子供の父になり、19の学校をカンボジアに設立したというのは、まさに、痛みを共にするという覚悟と、自らがそこに突っ込んでいくという行動を起こしたことこそ、本気で痛みを共にする、ということだなあと思いました

新規でビジネスを立ち上げる、または、イノベーションを創発するということは、痛みを真に共にする、そこから全ては始まるということを、ガツンと教えて頂いた、そんな気がいたしました

一言で言えば

痛みと共に運ぶノベーション 

そんなことを勉強させていただきました

そんな話をしています^ ^

参考:NHK こころの時代 裏も表も我が人生 https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2025152164SA000/index.html

動画で観たい方はこちら

https://youtu.be/oUn_1DTabIs