頂点に立つとどんな景色が見えるのかな?
そんなことをふと考える時があります。タワマンの50階に住居を構えて毎日いい景色にブランデーグラスで乾杯しているような気分なのかしら?(あくまで自分の勝手なイメージですが)
頂点に立ってから考えろよ、と言われそうですが、ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピックでも、みんな頂点を目指して死に物狂いで頑張ってて、今日も日本人の金メダルにめちゃくちゃ感動してしまいました
そんな時に、人間国宝の歌舞伎役者 片岡仁左衛門さんが、"お芝居ってのは気をつけないと、手に入ってしまう。慣れっこになるのが一番怖い。"と言われてた言葉にハッとさせられました。
そこから以下のようなことを考えさせられました
1、実は頂点に立ってる人はいないのでは?
2、コンフォートゾーンを抜け続ける人たち
3、頂点に立つことがゴールではない
1、実は頂点に立ってる人はいないのでは?
実は頂点に立ってる人というのはいなくて、常に頂点を目指し続ける人たちのことなのかもしれないなあと、目から鱗が落ちる思いでした
逆に言えば、頂点に立ってると思った瞬間に、すでにそれは、手からするりと抜け出してしまう瞬間でもあるということなのかもしれないなと
イノベーションプロジェクトも同じような側面があるなぁとも思います。実は当初イノベーティブと言われていた活動やソリューションが、あっという間に陳腐化してしまったり、コモディティ化してしまうものをたくさん見てきました
それは、悪いということではなくて、進化思考における、変異から、適応へ、移行したということかと思います
でも、常に頂点にいると言われている人や、常にイノベーティブなプロジェクトと言われているものは、常に、変異側にい続けている、そういう存在なのかももしれないなあと思いました
2、コンフォートゾーンを抜け続ける人たち
それはすなわち、毎日、昨日までできていたことを踏まえて、あるいは捨てて、昨日までできなかったことに挑戦しているアクティビティがあるということなのかもしれないと思います
つまりそれは、コンフォートゾーンを抜け続けるアクティビティを常日頃から、自らに課して、そして実践している人、またはそんなプロジェクトなのだと思います
それは人から見たら、頂点におられて、あつもいい景色をご覧でしょう?と思われているかもしませんが、そんな景色を楽しむよりは、更なるできていないことをできるようにする挑戦をし続けている、ある意味そんな運命に突入している人たちなのかもしれないなあと思いました
3、頂点に立つことがゴールではない
私はそんな立場に立ったことがないのでその気持ちは分かりませんが、でもそういう方々を見るにつけ、なんて生き生きと、しかも、苦しまれてやられてる風では、全くなく、むしろそれを生き甲斐とされている、そんな風に見える方が多いような気がします
それは、タワマンの50階からの景色が素晴らしいからではなくて、挑戦し続けることができていることに、喜びを得られているのではないかと感じてしまいます
自分自身のパッションの源に沿ったことを見つけられ、そしてそれに100%の力で挑戦し続けることができている
そんな人たちが、周りから見たら頂点に立っている人に見えるかもしれないけれども、その人からしたら、頂点に立つことなんてなんの意味もないと、もしかしたら思ってるのかもしれないなあと思いました
つまり、永遠に、手に入れない、そんな心持ちこそが、生きている実感を得られる、そんな秘訣なのかもしれない、そんなことを思いました
一言で言えば
片岡さんの言葉を借りて
手に入れないノベーション
そんな話をしています^ ^
参考: プロフェッショナル 仕事の流儀 心で魅せる、芸を貫く〜歌舞伎役者 片岡仁左衛門〜 2026年1月13日 https://www.web.nhk/tv/an/professional/pl/series-tep-8X88ZVMGV5/ep/5L4Y8K2Z6R
※番組内での発言を、趣旨を損なわない範囲で引用しています