"老子"の''無用の用"によると
"30本の輻は1つのこしきに集まって(車輪を形成して)います。
そこに何もない空間があるから、車輪としての役割を果たすのです。
粘土をこねて器を作ります。
そこ(器の中)に何もない空間があるから、器としての役割を果たすのです。
戸や窓を貫いて部屋を作ります。
そこ(部屋の中)に何もない空間があるから、部屋としての役割を果たすのです。
つまり形ある物が価値があるのは、形ない物がその役割を果たしているからです。"
ここから私は、役に立つことで溢れている今だからこそ、役に立たないことに、意味が出てきていると思いました
1、逆転の発想
形ないものにも役割がある
2、不便益
不便なものにも役割がある
3、役立つからの脱却
全てに両面があるとすると、役に立つなんて考えなくても良いのでは?パッションに従えば良いのでは?
山口周さんのアジェンダシェイパーのように、解決策が溢れている世界だからこそ、新しい問いを立てることが求められる
新しい問いとして、形のないものの役割や、見えていないものの役割、これまで価値と認識されていなかったことの、新しい価値を問い直すことがあっても良いのでは
また、不便なものにこそ便利なものにできない価値があるという不便益の考え方も、新しい問いを立てるヒントになりそう
参考【京都先端科学大学の川上浩司教授の"不便益"に、デジタル化時代に本当に必要なイノベーションを教えて頂きました】https://anchor.fm/u6b8bu9593-u5149u592au90ce/episodes/ep-e19qbhm
これからの新しい価値として、役に立つものや解決をするもの、ではなく、一見役に立たないもの、決して解決はしないけど価値のあるもの、または全く価値と思われていなかったもの、への問いが大切になってくるのではないかと
そんなことを思いました^ ^
参考:マナペディア 老子『無用の用・無用之用』現代語訳・書き下し文と解説
https://manapedia.jp/m/text/3877
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