矢沢永吉さんと糸井重里さんの対談に痺れました!
矢沢さん曰く
"最近、オレね、ある俳優のドキュメント、観たんだ
なんでオレが「こき使われてるな」って思ったかっていったら、ふたつあるんだ。
ひとつは、単純に、使われてる立場に立ってる
もうひとつは、映像をとおして、「オレ、がんばってるし」みたいな感じが、なんていうかな、出すぎてるわけ
それを見たオレが、トータルになにを感じたかっていうと、「体、大丈夫?」って思っちゃったわけ
使われちゃダメだって言いたい"
ここから私は思いました
1、使われ慣れからの脱却
2、選択の自由の奪還
3、自分の価値の再発見
私は30年間サラリーマンで、勤めさせていただいたのですが
その中にいる時には、会社のため、メンバーのため、社会のため、ということが、自分の価値観の大きな部分を占めていた気がします
それは悪いことではないし、むしろ美しいこととは思うのですが、情熱のポートフォリオから見ると、利他パッションと成長パッションが強かった気がします
逆に、自分の大好きパッションや、個性派パッションは、あるものの、仕事とは別物として、整理されてたような気がします
人生の時間の中で、8割近くを占める仕事において、その状況は、ある意味、歪な構造なのかも?
これを思えたのは、寝れない夜を何夜も乗り越えて、独立してみて、初めて見えてきたような気がします
永ちゃんが言ってくれてる、"体、大丈夫?"ってことは、その中にいると見えなくなっていた、そんな気もします
それは、使われることしかない人生を過ごしてきたため、ある意味、使われ慣れ、ということがあったのかなと
独立してみて思ったのは、圧倒的な仕事獲得への不安とともに、同じか、さらに、上回るくらいの、選択の自由、を感じました
自らがやりたくないことはしなくて良い、自分の向かいたい方向に直接的に影響があることだけをやる、ほとんどの時間をそのために費やす
こういった事を、とても価値ある事だなと思えるようになったのは、本当に最近のことかもしれません
その自由を得続けるためにも、自分の価値をもっともっと高めて行きたい、さらにこれまでにない価値も発見して行きたい
そういった事を、死ぬまで追求しつづられたら、成功や失敗は関係なく、自分の幸せにつながりそうだなあ
それを選択してるのは全て自分なので、それもどんなことになっても納得できる
そんな事を思いました
うちのビジョン、全世界一世帯あたり一法人化
永ちゃんの言葉と共振できたようで、嬉しかったできますです
そんな話をしています^ ^
参考:HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN ヤオモテOK 矢沢永吉のあたらしいRockn Roll https://www.1101.com/yaomote/2009-08-17.html
動画で見たい方はこちら