マハトマガンジーさんの、言葉に改めてハッとさせられました
"彼は暴力に訴えれば訴えるほどますます真理から遠ざかっていくのです
何故なら外なる仮想の敵と戦っている時はうちなる敵を忘却していたからです"
ここから私は思いました
1、パッションの源は何だ?
2、うちなる敵は何だ?
3、パッションとうちなる敵との真摯な対話
パッションの源に立ち返ろう、といつも思っていましたが
それだけではダメなんだと気付かされました
そこに、うちなる敵なるものの存在を意識しなければならないんだなと
そのうちなる敵は、ある時は、失敗するぞ、とか、批判を浴びるぞ、とかネガティブなことを言うものかもしれないし
またある時は、人の話なんて聞くな、お前が正しいんだ、といったポジティブなことを言うのかもしれない
どっちの声とも、真摯に対話するということが大事なんだなと
でもそれだけでは、どうしても判断できないこともありそうな気もします
そんな時には、やっぱり、仲間の存在が大きいんじゃないか
また時には、仲間だけではなく、外の敵との対話も必要なのかもな
仲間と敵はほぼ同じなのかも
そんな話をしています^ ^
参考:岩波文庫 青二六一‐一 ガンディー 獄中からの手紙〔電子書籍版〕 二〇一五年一二月一七日 発行 訳者:森本達雄 発行所:岩波書店
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