フランスの哲学者エマニュエル・レヴィナスの"他者論"に考えさせられました
曰く
''いかなる哲学、科学、数学を作り出しても、必ずその外部から「違う」と叫び叩き潰してくる、理解不能で残酷な「他者」が現れる"
"「他者」が現れるからこそ、自己は自己完結して停滞することなく、無限に問いかけ続けることができる"
イノベーター3つのフレームにおける、パッション、仲間、大義とありますが、ここから私は思いました
1、仲間は、比較的優しい他者
2、仲間の外にいる他社は、叩き潰す他者
3、大義は、叩き潰す他者を仲間にする鍵
これは、実は、自分のパッションと、他者である仲間と、さらにその外に無限に広がる他者との間を繋ごうとする大義の、物語なのだなあと思いました
さらに単純化すると、自分と他者をつなごうとする物語なのかと
その活動によって、自分自身も停滞せずに、無限の問いを発生させることになり
それは、自分自身を成長させてくれるエンジンになるのだなと
つまり、イノベーション活動をすることにより、他者から叩き潰されること、それこそが自分の成長なのだと
そう考えると、叩き潰されるのも、悪くないのねと
理屈では分かりましたが、リアルでは嫌だよなあ
そんなことを感じました^ ^
参考:Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/エマニュエル・レヴィナス
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