大好きなムロツヨシさんの言葉が突き刺さりました
"かわりはいくらでもいる、誰でもできる仕事、そんなのは自分が1番よくわかってる
だけど、自分にしかできない仕事があるはずだって
誰かから見たらつまらない仕事でも、誰かの役に立ってるんだって、必死に走り回って
誰にでもできる仕事を、誰もやらなかったら、この世界回んねぇじゃねえか"
1、代わりのいない仕事はない
2、パッションの源に目を向ける
3、抽象化による大義
30年間サラリーマンをやっていて、常日頃これは思ってました
まただからこそ、気楽にできたと言う側面もあります
さらにいえば、そう言う状態にしないといかんと、誰かがいなくなると回らなくなるような仕事にするなと
そんなこともよく言われてました
それが組織活動なのかもしれませんが、そんな状態が続くと、自分って何のためにいるだっけとか、必要なんだっけと考えることも多くなりました
高校野球をやっていた時に、自分だけ打撃練習をさせてくれなかった時に、悔し涙が流れてきた事を思い出しました
そんな時の自分にムロさんの言葉は突き刺さりました
ある意味、人からどう思われているかなんてどうでもよくて、自分のパッションの源に目を向けるんだといってくれてる気がしました
それは、誰かやこのチームが大好きだからこれをやるんだ、とか、だれか知らないけどこれをやる事で誰かが必ず助かってるんだとか
自分は認識されなくても、大好きパッションや、利他パッションの爆発はあり得るのだと思いました
新幹線清掃会社のTESSEIが、"TESSEIの商品とは単なる清掃ではなく、「お客さまに思い出を提供すること」"と抽象化した大義を打ち出したところから、社員の意識が変わったと言う話を思い出しました
会社が大義を作らなくても、自分で作ればいい
自分の仕事は、代わりが効く仕事だし、誰かができる仕事だけれども
自分のパッションに基づきやっている、さらには会社や世の中のこう言う事に必ず繋がってる、それを実現する大義がある
こんなふうに考えられると、また違う景色が見えてくるのかもしれないなと
そんな事を教えて頂いた気がしました
代わりがいるからなんなんだ、おれはおれのこんな考えでやってんだ、それがどうした
代わりがいるノベーション
そんな話をしています^ ^
参考:フジTV うちの弁護士は手がかかる https://www.fujitv.co.jp/uchiben_kin9/
動画で見たい方はこちら