劇作家の平田オリザさんからのシンパシー(同情)とエンパシー(共感)の違いに考えさせられました
"シンパシー(同情)というのは可哀想な人がいた時に、可哀想だなあと心から思う、そういう感情です
これも大事なんですけど、エンパシー(共感)っていうのは、全然価値観の違う人が、なんでそんなこと言ったんだろうとか、なんでそんな事をしたんだろうという事を、理解しようとする態度や技術のことを指します
同意はしないけど理解するということが、なかなか苦手な方が多くて、日本は特に一緒にならないと理解したことにならないと思っちゃうんですよね"
ここから私は"同意しないけど理解するまでの道のり"について考えてみました
1、同意しないけど一旦は話を聞く
ネガティヴケイパビリティ
2、なぜ違いがあるのかの深掘り
なぜなぜ分析からの真の理解
3、同意できないこととのギャップソリューション
イノベーションの種
デザインシンキングの世界では、エンパシー(共感)が大事という話をよく聞きますが
シンパシーとエンパシーの違いを理解しながら進める必要があるのだなと改めて思いました
例えば、映画を見た時に、あーめっちゃ共感したー、とかいうのは、シンパシー(同情)に近いのだなと
いやー、全くよくわからなかった、という時ほど、エンパシー(共感)が発揮されるベき時なのだなと
そのためには、聞きたくないことや賛成できないことでもね、まずは、一旦は最後まで話を聞く、という、ある意味ネガティヴケイパビリティが必要だなと
その上で、なんでそう考えるのか?または、なぜ自分が思うこととはちがう方向なのか?ここに着目して、なぜなぜを繰り返していく
その上で、同意はしないけれども、なるほど、そういうことでこう考えているのか!まで、自分が論理的、または感情的に、納得できるところまで、なんとか到達する
それではじめてエンパシー(共感)できたということになるのだなと
そういう、同意できないけども、納得できた考えややり方がわかったときこそが
実はイノベーションの種なのかもしれないなとも思いました
じゃあ、そのギャップをこうしたら埋められるんじゃないかとか
まさにヘーゲルのアウフヘーベンのように、両者の否定をせずに、第3の道として、こういうやり方や考えがあって良いんじゃない
みたいな事が生まれる事こそ、イノベーションだなあと
そんなことを思いました
観察をして、エスノグラフィーをして、ああ、わかる、それそれ、ということよりも
いやあ、全く意味不明、なにそれ、に着目すると面白いイノベーションにつながるのかも
同意なき共感にイノベーションあり
そんなことを思いました^ ^
参考:NHK Eテレ東京 100分de名著 名著135「三酔人経綸問答」中江兆民
https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/blog/bl/pEwB9LAbAN/bp/pzrrKVW7rz/
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