デヴィッド・グレーバーさんのブルシット・ジョブについて考えさせられました
曰く
"暫定的定義=ブルシット・ジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある雇用の形態である。"
ここから私は、ブルシットなジョブから抜け出すためには何が必要なんだろうと思いました
1、誰もが価値を創れる世界
2、誰もが選択のできる世界
3、全世帯一法人化
私もサラリーマン時代に、これって本当に意味あんのかなあと思いながら、やってた仕事もあるし、人もいました
それが望みなら良いのですが、苦しんでいるのであれば、そこから逃げることを考えなければいけないし
もっと言えば、逃げられるような準備をしておく、ということが大事なのかなと思いました
そのためには、一言で言うと、なんらかの価値を創れる人になっておく、と言うことかなと
それこそ、ある意味、ケツをまくれる人になっておくと言うことかなと
ケツをまくったはいいけど、自分で拭けなくなっちゃいました、ではどうしようもないので
自分でケツを捲りながらも、きちんと拭けるようになっておく、つまり、なんらかの価値を自分で作ることができるようになっておく
と言うことが一つの方向性なのかなと思いました
それが出来るようにみんながなっていくと、ある意味、自分で選択ができる世界ができてくるかなと
そして、ゆくゆくは、自分で作った価値を、サスティナブルに回していくことが出来るようになれば
全世界一世帯当たり一法人化が実現できる世界にもなるかなと
全ての人が起業家になる必要は全くないと思いますが、少なくとも自分自身で価値を創れる自分になっておくことは
誰もが選択を行使できる世界になり、万が一、ブルシットな状況になった時にも
そこから逃げ出すことができるようになることに、少しでも繋がるのではないかと
そんなことを思いました
参考:本:ブルシット・ジョブ──クソどうでもいい仕事の理論 二〇二〇年一二月二四日 発行 著者:デヴィッド・グレーバー 訳者:酒井隆史 芳賀達彦 森田和樹 発行所:株式会社 岩波書店