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京都先端技術大学の名和高司教授より、哲学者の西田幾多郎さんと出口康夫教授の教えに感動しました

"西田は、主体 対 客体という二元論を超えて、「他者のことを我がこととしてとらえる」視座の必要性を説く。

そして、真にその境地に立てた時に、「善」を実践することができると言う。

西田哲学の流れを汲む京都大学の出口康夫教授は、それを「われわれとしての自己(Self-as -We)」と呼ぶ。"

ここから私は思いました

1、共同体感覚

2、自分事化からの行動

3、価値の再分配

1、共同体感覚

日本の思想の根本に、こういった考えが流れてるということに、とても共感するとともに、感動しました

時には日本人は個人としての主張がない、、みたいなことも言われたりもしますが、それは、実は、他者のことを我がことのように感じる感性が強いという見方もあると思いました

それは、アドラーさんの『人間知の心理学』にて言われるところの、共同体感覚にもとても似ていて

「他者を仲間とみなし、そこに自分の居場所を見いだし、貢献することで自己の価値を実感する感覚」

にとても近いなと思いました

それは、イノベーター3つのフレームにもすごく似ていて、実は自己としての主張やパッションから始まり、仲間と共に、自分だけではないみんなが喜んでもらえることを目指す大義へ到達する

それが、我々としての自己(Self-as -We)なのであるということかなと思いました。さらにそれは、マズローの五段階の欲求の上にくる超越のような、究極の自己実現なのではとも思いました

2、自分事化からの行動

そして、イノベーターにとってすごく大事なのは、思うだけではなく、行動を伴うということにある、というようにも感じました

善の実践、と言われているのは、実はとても重みのある言葉で、実践なきものには、意味がないと言われている気もしました

リクルートで有名になった、圧倒的当事者意識、という言葉がありましたが、人の痛みを我がこととして感じた上で、さらにそれを自分毎として、行動に移せるのか、そこがイノベーターには問われることだなあと思いました

3、価値の再分配

ただ、ここで新たな問いとして、例えば成功したイノベーターには、富が集中しているのではないか?ということも思いました。それは、果たして、Self-as -Weと言えるのか?

ここで思ったのが、動機としてのSelf-as -Weということと、結果としての富の集中ということです。

そして、実は、富の集中した結果を、価値の再配分という形で、Self-as -Weへ戻していくアクティビティをしている方がたくさんいるなあと思いました

例えば、マッケンジー・スコット(アマゾン創業者ベゾスの元妻)さんが、巨額の資産を非営利団体に匿名で寄付し続けていたり、そのほかの名だたる起業家で成功された方が、さまざまな富の再配分をしているのをきくのは、ここに源があるのではないか?

だからこそ、また次のSelf-as -Weサイクルが回り続ける、継承されていく

そんなことを思いました

真のイノベーターは、「われわれとしての自己(Self-as -We)」から、イノベーター3つのフレームを実現し、その後、富が集中したら、価値の再配分を行う

そういうことなのかと思いました

一言で言えば

Self-as -Weノベーション

そんなことを思いました^^

参考:本:シン日本流経営 成長のダイナミズムを取り戻す「超進化」 2025年2月18日 著者—名和高司 発行所—ダイヤモンド社

動画で観たい方はこちら

https://youtu.be/7fts_Y7T408