(今回のメンバー:やすお、ソキウス)
まず初めに、この回を収録した時期は#48「イントロクイズの『暴力性』と『座学』への嫌悪感」についての回( https://spoti.fi/3cesvWf )を収録する少し前。
その結果今回は、#21「イントロクイズと『勉強』」の回( https://spoti.fi/3BP5cNq )と#48の間を繋ぐ回となりました。
本編で話されていた内容が、イントロクイズ的な勉強との「向き合い方」な部分が多かったため、収録後数ヶ月程度ではさすがに大きな変化は起こっていませんが、やすおはソキウスが挙げた「(「座学」的であれ、系譜的であれ)勉強をしないと楽しめなくなってしまうライン」の話は色々と考えることがあった様子。
そこから自身の読み上げクイズでの経験と繋げて(様々な原因から生まれた)「再生産されやすい問題群」、いわゆる「ベタ問」とそれが流通するコミュニティの関係性の話へ進みます。
ソキウスは、様々なコミュニティ間での価値観の違い ―イントロクイズの場合だと、各々が聴いている/目にしている「音楽シーン」間での違いも含む― が「嫌悪感」のことを考える上で重要なのではないかと、イントロクイズと「座学」に対してのこの段階での思いを吐露。
ここでソキウスが本編で話題には挙がらなかったが語っておきたいこととして、普段の生活で数百回聴いている楽曲を除けば「競技イントロクイズに特化した聞き方(冒頭コンマ何秒の細かい違いを(答えを確定させるために音の違いを判断するという意味で)分析的に捉える聞き方 etc)をしないと、早押しクイズにおいて最速で反応できない」という感覚を提示。
これにはやすおも「そういう(のが日常生活で)の(聴き方)じゃないんだよね」とある程度共感。
イントロクイズと読み上げクイズでの「感覚と思考」の違いという視点。そしてここで言う「感覚」を、自らが持っている資源と結びつかせることがどの程度得意かどうか。
この音楽生活での「アプローチ」の違いも「嫌悪感」というものを考える上では重要なのかもしれません。