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(今回のメンバー:やすお、ナル、ソキウス)

なんとなく覚える(こともある)生理的な嫌悪感とも向き合ってみようの回。

自身の認知的な環境を改変していった結果の積み重なりを知識とするのならば(「認知的ニッチ構築」としての知識) [読書猿 2020:18]、その知識を得る行為の中にも、競技で勝つための資源としてある事柄の存在を覚えることを指す鍵括弧つきの「座学」的なものや、その「座学」を基にして視野を広げるための体系的な理解を目指すものといった複数の勉強観が(クイズ的な視点だけで見ても)あり得ることを考えてみた、以前配信の「イントロクイズと勉強」をテーマにした回( https://spoti.fi/3BP5cNq )。

その勉強回に対するコメントで言及されていた、イントロクイズは「座学」しなくても楽しめるという感覚。

この言葉には「(時と場合によっては)勉強する『必要が無い』」という意味合いももちろんありますが ―そしてその意味合いがこの感覚への第一義的な理解だと思われる― 、ここで一度立ち止まって考えてみたいのがその必要性の感覚とも表裏一体である「イントロクイズへ『向けて』勉強していることへの生理的な嫌悪感」。

今回はその勉強回を踏まえて、クイズをする人たちの中では「『座学』で得た知識」とはほぼ対照的な意味で使われることがある「素の知識」概念の検討をしてみた結果、競技クイズ(参考: https://spoti.fi/3xxVWvH )が持つ「暴力性」と(イントロクイズではその影響がより色濃く出る)個人の趣味嗜好が交わるときに起こり得る生理的な嫌悪感、そしてイントロクイズという遊びの中にある楽曲の要素とクイズの要素の2つの違いについても考えることが出来るのではないかと話題が広がっていく回です。

さしあたって「素の知識」概念の導入から対話を始めてみた今回。

まずは「座学」に対して、自身が生理的な嫌悪感を抱くことがあるかということと、第三者が生理的な嫌悪感を抱く可能性について考えたことをテーマに対話を進めていきます。

ナルは自身としては、(「責任曲」までくると一種の諦めはあるが)正解できなくて「辛い気持ち」を減らすために「一問でも正解したい」という思いがあるため「座学」との親和性が高く、先ほど挙げたような嫌悪感を覚えることは基本的に無いとのこと。

そこで第三者の目線を想像してみると、「一部」にそのような思いを持つ人がいることを「容認」しているが、ナルが見ている視点では「(プレイヤーの)大多数」はそのような思いとは遠いところにいるのではという答え。

好きなものを「深く」聴きがちという志向性を持つやすおとしては、競技的なクイズによって時には好きなものが「消費されちゃう」という感覚から「ちょこっと」はそのような嫌悪感に対して実感が伴っている様子。

それを受けてソキウスは、競技性が高いクイズをした結果生まれるゲーム内での「優劣」(≠人間としての優劣)が各々の趣味嗜好と結びついたときに生まれるかもしれない生理的な嫌悪感について、特にイントロクイズでは自覚的に考えた方がいいという意見を提示。

ここで「クイズの持つ『暴力性』」についての論考[伊沢 2020]を取り上げ、クイズ文化を理解してもらうためのガイドライン策定に向けてひとまずの目標として設定される「ボクシング」の例 ―そのような「暴力性」は頭で理解していても、生理的に嫌悪感を覚えることがある例として捉えることも出来る― を踏まえて、この嫌悪感という問題意識から我々なりにイントロクイズでの「暴力性」について考えていきます。

この論考を参考にすると先ほどのソキウスの意見は、(体系的な理解を目指すものとしての勉強はもちろんのこと)「座学」によってクイズというゲームの中で上に立てる瞬間の存在は、クイズ文化の中にいない人たちからすれば「理解」の前に(特にイントロクイズでは趣味嗜好とより結びつく)嫌悪感が来てしまうのではないか、という問いと言い換えることができるでしょう。(なお、[伊沢 2020]では「超克」のためのガイドラインが示されている)

この問いにナルはイントロクイズをゲーム内での優劣よりも、自身の趣味嗜好に近いものを発見するなどといった「別の側面」で楽しんではいますが、伊沢論考を経たことで、この回の前半では言及されなかった嫌悪感への実感がイントロクイズ大会での例とともに少しずつ示されていきます。

ナルが挙げた例に共感するやすおに対しソキウスは、(そのような嫌悪感が生まれ得る状況の場合、)「素の知識」をより多く持つ人に競技では勝ってもらいたいか、という質問を投げかけます。

これには「出題側の意図」が関係あるだろうと、暫定的に答えを出したやすお。

読み上げクイズで使用される「問題」とイントロクイズで出題される「問題」である「楽曲」とを関連付けさせながら、自身の「思い入れ」についての考えを語ります。

このやすおの考えは、イントロクイズというものを(言葉どおり)イントロとクイズで分割した場合の「クイズ」の話が中心。

競技クイズでのルールや戦略などを身をもって経験してきたやすおならではの感覚です。

メンバー各々が悩みながらどうにか終わらせたこの対話。

「素の知識」概念が有効であるならば、「イントロクイズと勉強」というテーマから派生した今回のクイズ/イントロクイズの持つ「暴力性」とそれによる嫌悪感の対話を踏まえて、これを聞いていただいた皆さんは「イントロクイズは『座学』しなくてもいいクイズ」という言葉をどのように受け取るでしょうか?

【本日の一曲】

毎回最後に1分以内で今紹介したい1曲を持ち回りで語ってもらう「本日の一曲」。

今回はナルが、昨年公開されたアニメ映画の楽曲を紹介。

残すためにはその魅力を伝えよう。

【今回のキーワード】

勉強/「座学」/「素の知識」/クイズの持つ「暴力性」/生理的な嫌悪感/競技としての勝ち負け/趣味嗜好 /イントロ(楽曲)要素とクイズ要素/国江田計(阿部敦) & 都築潮(川原慶久)

【参考資料】

読書猿, 2020, 『独学大全: Self-study ENCYCLOPEDIA――  絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』ダイヤモンド社.

伊沢拓司, 2020, 「クイズの持つ『暴力性』と、その超克――いかにしてクイズ文化を理解してもらうか」『ユリイカ』青土社, 52(8): 74-84.