(今回のメンバー:キョン、やすお、ナル、ソキウス)
批評をする側/見る側にも色々ある。
以前「出題価値」に関する回( https://spoti.fi/3lMtthD )を配信しましたが、そこでの価値の考え方とは異なる「作品(楽曲)自体の『価値』」の話とも繋がってくるのがこの#53での大きなテーマ。
今回と次回配信分は、「『好きな楽曲にランクが付くこと』と名盤ランキング」というテーマをきっかけにメンバー各々の批評的なものに対する接し方や考え方を表に出し、そしてそれを受けて批評というものへの見取り図を参照しつつ、最終的にはイントロクイズの場では「解説/フォロー」という形で行われる行為のあり方へと話を繋げていきます。
今回はその前半戦として、ひとまずはメンバー各々が持つ批評観の違いを表に出そうと試みます。
最初にこの回のきっかけとして、ソキウスは「名盤ランキング」と呼ばれるものの存在をどの程度知っているかをメンバーに質問。
やすおとナルはそのようなものを(意識的には)見たことが無いと答えますが、キョンは特定の状況下で多少は見たことがあるとのこと。
【ナルの各年ごとの振り返り企画については、「年代別」で限定される場について扱った回( https://spoti.fi/3lGkHSo )を参照】
ソキウスはそのようなものを見たことがあるキョンに、(売上というものを中心的な指標として用いずに行われる)音楽の質のようなものでランクを付ける行為に対して何を考えているか尋ねます。
それにキョンは「自身はやりたくない」が他人が行ったものにはある程度興味があると返したので、改めてソキウスが「自身はやりたくない」の訳を聞いてみると、「『批評家』にはなりたくない」と一言。
キョンがここで言う「批評家」とは、(1)「良し悪し」を「『批評家』自身の(持つ)軸」で判断して、(2)その判断を基に「これは良い悪い」と述べるという2つの要件を満たす人たちのこと。
(この回をソキウスが設定した訳の一つに、このような「批評(家)」像を部分的に解体した方がイントロクイズにとっても有益だろうという考えがあり、それは次回にも繋がっていきます。)
キョンは「全ての音楽を好き」でいたいので「嫌いな音楽を作りたくない」傾向があると語り、自身が「批評家」になるとそのような態度は不可能になるという考え。
この考え方から見えてくるのは、「批評家」的な「理屈」による判断の結果と、自身が楽曲に対して抱く生理的な「感覚」による判断の結果とが起こす相互作用を、自らの中で共存させるのが困難であるし、その共存願望もないということ。キョンの「純粋に(一人の)音楽を聴いているだけの人でありたい」という言葉は、その態度を端的に表しています。
ここまでを受けてソキウスは、好きなYouTuber/Podcasterを語る回( https://spoti.fi/3rIH39G )でも登場したみのミュージックの動画を参照し、現状日本における批評の受容のされ方と、その動画内で言及される批評での一つの姿勢へと話題を繋げていきます。
その具体例として、村上隆xみの対談でみのが述べた「音楽は絶対的な質があります」発言[みのミュージック 2021a]、そしてそのような「質」に関連して村上が述べた「好き嫌い」が「マーケティングに主導権を握られている」発言[同上]や、日本では「構造」や「設計図」に対する評価は「0に等しい」発言[みのミュージック 2021b]をピックアップ。
これらの発言の背景にあるのは、音楽について語るときに「好き嫌いだったら何も成立しない」[みのミュージック 2021a]という状況を越えるためのもの。
【参照:そのようなマーケティングの結果とこのメンバーの関係を示す回として「ルーツ」回( https://spoti.fi/3Bdf9Vy )】
対話を進めていくと、「絶対的な質」という言葉への自身の直感的なイメージと実際に指し示しているものとの差に戸惑いを覚えるキョン。
なので、続いての話はやすおに。
ここでの対話では、「構造」に対してやすおがイメージするような「技術」的な側面や音楽理論的な側面による批評以外にも、「カテゴリ」に基づいた価値付けの基準[cf. Carroll 2009] ―後半で引用される「批評の新しい地図」においては、必ずしも目指す必要はないが、それを達成することでより良い批評となる「非構成的目的」[Grant 2013]の一つと位置付けられている― による批評の存在が示唆されます。[難波 2019]
(この意味での「価値付け」については、#53の中で直接は扱いません。また別の回を設定して考えていく予定です。)
さらに先ほどの対談でも挙がっていた「お笑い」や「ラーメン」の例を用いて、各々の批評観をより明確にしていきます。
やすおはアーティストのバックボーンを強く意識する傾向なのもあってか、この対談で言う「構造」を踏まえて語れる人は「ほとんどいない」のではないかと考えています。【参照:出題者と「語る言葉」回( https://spoti.fi/3A3uJlH )】
(そのような語り方が出来る「素養」を持ってない人(=「理想的鑑賞者」ではない「われわれ凡人」)にとっての批評との接し方[cf. 森 2021]についても、また今後の別の回で取り扱う予定です。)
最後はナル。
第一印象としては、音楽の「良し悪し」を「質」でランク付けする世界が存在していることへの驚き。
ナル自身は「審美眼」的な視点で判断されるような「質」のことを考えずに「感覚」だけでランクを付けており、たとえそれが自身のTOP○○のようなものであっても、その選ばれたものの中ではランクに「ほぼ差が無い」ものとして捉えています。
またナルは「知識」の有無といった言葉で、自身には審美眼的な語りへの「素養」をやすおと同様に持っていないこと、そしてそのような語りは自身にとっては「別世界のもの」と言及します。
次回の#53-2で触れられるのは、審美眼的な視点を持って行われるという批評へのそのイメージ ―そしてそのような視点自体は、批評を語る上で決して間違いではない― だけが批評行為の全てではないということ。
そして「批評の新しい地図」を引用することで、「ある結論を導くために用いられる前提」という意味での批評の理由の複数性[難波 2019]が、イントロクイズの場における「解説/フォロー」行為での新たな方法にも繋がっていくだろうと話題が繋がっていきます。
ぜひ次回配信分もお聞きください。
【今回のキーワード】
批評/好き嫌い/名盤ランキング/「理屈」と「感覚」/「絶対的な質」(構造・設計図)/マーケティング/価値付け/審美眼
【参考資料】
Carroll, Noel, 2009, On Criticism, London: Routledge. (森功次訳, 2017, 『批評について――芸術批評の哲学』勁草書房.)
Grant, James, 2013, "Criticism and Appreciation," The Critical Imagination, Oxford: Oxford University Press, 5-28.
みのミュージック, 2021a, 「日本人は潔癖すぎる!?対談 『村上隆 x みの』」(2021年12月8日取得, https://youtu.be/MPDKdVgRSVw).
――――, 2021b, 「フィッシュマンズが海外でウケた理由? 対談『村上隆 x みの』」(2021年12月8日取得, https://youtu.be/uuTFwQdfVuc).
森功次, 2021, 「われわれ凡人は批評文をどのように読むべきか:理想的観賞者と美的価値をめぐる近年の論争から考える」『人間生活文化研究』No.31: 365-381.
難波優輝, 2019, 「批評の新しい地図 : 目的、理由、推論」 『フィルカル : philosophy & culture : 分析哲学と文化をつなぐ』4(3): 260-301.