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本日のプレイリスト:https://spoti.fi/3rGXCRK

(今回のメンバー:キョン、やすお、ナル、ソキウス)

バージョンが違うこととクイズで出題することとの関係。

今回は、以前配信した「カバー曲」について考えてみた回( https://spoti.fi/3rapeA5 )で引用した「mimic cover(模倣的カヴァー)」という概念[Magnus et al. 2013; 森 2013]を使ってもしもの話をしてみる回。

そのもしもとは「もしも、イントロクイズの場でmimic coverしか出題されないようになったら?」。

この仮定の話を使って、最終的にはイントロクイズにおける「バージョン違い」の扱い方について考える最初の一歩にしようというのが今回の主旨です。

なお(シングルVer.か否かによって扱い方に差をつけることを念頭に置いた上で)本編の最後で言及したとおり、Ver.違いに対して扱い方に差をつけることは、ある程度妥当な理由付けに基づいた行為といえるだろうということを対話の前提としています。

まずはキョンに、この仮定を想像してみて思うことを尋ねます。

キョンは、出題者の立場であれ解答者の立場であれ、どちらかというとそのような状況になった「事情」の方にその関心が向くようです。

その事情を呑み込んだうえで、模倣しているという点では原曲とあまり変わらないmimic coverならば「意外と楽しめてる」だろうと考えていますが、ただ「心のどこかに」「原曲で楽しみたいな」という思いもくすぶる様子。

次にやすおにこの仮定について同じ質問を投げかけ。

解答者としては「ミスリード」を誘わないであろうものならば特に気にしないとのこと。模倣しているのであればという点ではキョンの考えと近いものがあります。

最後はナル。

ナルはここまでの2人とは異なり、そのような仮定の状況では「あまり乗り気にならないかもしれない」という感覚。

その真意を尋ねてみると、ナル自身が「原曲主義」(原曲ではないもの全体に対して抱く違和感)と呼ぶ、楽曲/イントロクイズに対しての考えがその根底にありました。

ナル的には模倣だからこそ、カバー元とのその僅かな違いを認識して「頭の中に落としこまないと」回答が導き出せないことに対して苦手意識が強く出るとのこと。この感覚はキョン同様、立場が変わってもそこまで変化はないようですが、どちらにせよ「たまに出す」分には面白いだろうと考えています。

【参考:何かを「アクセント」と考えて配分に傾斜をつけて出題する感覚を語った「出題価値」回( https://spoti.fi/3lMtthD )】

続いてソキウスは、原曲ではないことにキョンが「乗り気になれない」瞬間はあるのか、あるとしたらどのような場合かを尋ねますが、事情以外の観点の場合を尋ねたいソキウスは、原曲と違うことそれ自体に対しての「乗り気になれない」瞬間の有無という形で重ねて質問します。

この問いにキョンは、(苦手意識の程度は違えども)先ほどのナルが語った感覚と似た、(鍵括弧付きの)「純粋な」イントロクイズとは違う「別のゲームをしている」感覚を語ります。

この原曲主義の感覚について、やすおにも質問。

「細かい違いに鈍感」だと語るやすおにとっては、あまり原曲主義の感覚に実感は持てない様子。ここでさらに、キョンが語ったゲームの性質が変わる感覚についても尋ねてみると、ゲーム自体の性質が変化するとまでは言えないだろうが、回答へ至る「思考のプロセス」は確かに変わるだろうという形で自身の感覚を言語化。

ここまでの対話でVer.違いへの率直な感覚を確認できたので、ここからはその感覚をより場合分けして考えようと先ほどの仮定を一段階発展させて、「mimic coverが(聴覚レベルでは判別できないぐらいに)カバー元の音源と違いが無いものだったら?」という話題へ。

まずは、先ほどは原曲と「違う」ことに対する違和感を強く表明していたナルに質問。

そのようなカバー実践が現れたら「素直に受けとめ」て「納得せざるを得ない」と、その微妙な思いを吐露。

カバー元と区別が出来ないならばそれは原曲とほぼ同じだと、ここでは先ほどとは違って「同じ」だという言い方に力点を置いた語り。

続いてのキョンは、1つ目の仮定で自身が懸念していたことがここでは解消されているので「それなら万々歳」。

キョン的にも、2つ目の仮定でのmimic coverは原曲と「ほぼ同値」のものと認識しています。(ただし、キョンは「同じ」という意味においては「同値」と「ほぼ同値」をそこまで大きな区別としていない。)

最後に、やすお。

音の違いを瞬時に見極めるという意味での競技性を担保できているという意味でキョン的とも、後にカバー版だったと知って驚くという意味ではナル的ともいえる感覚を持っています。

ここでソキウスはこの回を設定した背景として、Carrollによる「受容価値」と「成功価値」の議論[Carroll 2009=2017]があったことを語り、(厳密な条件は違えども)イントロクイズにおけるVer.違いの扱い方を考えてみるきっかけとして、この議論を参考にして「もしも」をしてみたこと、そしてそれらがsongとtrackの関係性の話とも繋がるだろうという手の内を明かします。

【参照:批評回(後半)( https://spoti.fi/3eqrcER )】

(ソキウスとしてはVer.違い問題は、何かしらの意味で原曲だとみなしているVer.とそれ以外のVer.の間で起こる、songとしては同じであるものがtrackレベルでは違うものを判断する際の価値観のグラデーションの問題だと考えている。)[cf. Magnus et al. 2013; 森 2013]

これらを受けて最後は「シングルVer.中心主義」のようなVer.違いについて考えてみることに。

先ほどの2つ目の仮定と現実を対応させる形で、元のVer.との違いが分かりづらいという意味での「リマスター Ver.」での扱い方がここからの話題の中心です。

今回の対話の前提、2つの仮定、そしてそれらに対する回答を踏まえると、リマスターであることを知らない時の扱い方と、原曲と違うということが判明した段階で原曲主義をとるそのナルの ― 元のVer.とは違うものだと知ると「違和感」が生じるという ― 意識の変化と、どれだけ微小な違いであっても判断可能な限りは「違う」ということに力点を置くというこの2点は注目に値するでしょう。

もちろん今回の内容は「○○Ver.でないと/以外はダメだ」というものではなく、その考え方の違いにある条件の差を探ろうとしたものです。

その点をご了承の上で、本編をお聞きいただけると幸いです。

【本日の一曲】

毎回最後に1分以内で今紹介したい1曲を持ち回りで語ってもらう「本日の一曲」。

今回はソキウスが、ご当地アイドルの楽曲を紹介。

名コンビです。

【今回のキーワード】

カバー曲/イントロクイズ/模倣的カヴァー(mimic cover)/ミスリード/原曲主義/「アクセント」/「純粋な」イントロクイズ/(イントロクイズという)ゲームの性質/思考のプロセス/受容価値と成功価値/リマスター/RYUTist

【参考文献】

Carroll, Noel, 2009, On Criticism, London: Routledge. (森功次訳, 2017, 『批評について――芸術批評の哲学』勁草書房.)

Magnus, Cristyn., P.D. Magnus, and Christy Mag Uidhir, 2013, Judging Covers, The Journal of Aesthetics and Art Criticism, 71: 361-370. 

森功次, 2013, 「ポピュラー音楽におけるHigher Level Ontology:リマスタリング、カヴァー、リミックス」第25回ポピュラー音楽学会発表原稿.