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本日のプレイリスト:https://spoti.fi/3wGCmja

(今回のメンバー:キョン、やすお、ソキウス)

なぜなら、そこにクイズがあったから…?

※本編の音声が、一部聞き取りづらい箇所があります。その点、予めご了承ください。

以前のイントロクイズでの「出題価値」について考えた回( https://spoti.fi/3lMtthD )において、このメンバー間で程度の差はあれ比較的共通だったのは「『変化球』という形にはなるかもしれないが、どのような音であっても価値を見出すことが出来れば出題するだろう」というスタンス。

今回はそのような意見を踏まえ、意図的に目指された「正解が全く出ないイントロクイズ」というものを想像してみることで、イントロクイズにおける「正解」の役割、さらにはこのことを突き進めて考えていった先に現れるであろう、イントロクイズと「DJ行為」との違いと「対外戦略」という話題にも少し触れます。

【参照:イントロクイズと難易度回( https://spoti.fi/3ljEiXv )】

まず始めにキョンが以前の回で挙げた、出題リストの中での「変化球」という考え方を確認し、そのことも踏まえながら正解が全く出ないクイズはありかどうかをキョンに尋ねます。

これに対してキョンは、「正解が出た方が楽しい」ので自らがそのようなクイズを目指すことは無いとした上で、「一つの形として」「存在してもいい」と回答。

ただこの回の設定意図として、「ギリギリ」答えられるかどうかへの挑戦というよりかは、出題者として「全く」出ないという状態を「目指しても良いもの」なのかということをソキウスは考えていたので、その点を強調して再度尋ねました。

キョンは出題者の意図が「全く」という点ではっきりとしているのであれば、「ギリギリ」への挑戦かどうかに関わらず、そしてそれが出題者の「エゴ」であったとしても「一つの形」としてありだろうと考えています。

【参考:キョンが語る「エゴ」の一つの例として「アニソン老人会」を取り挙げた、新世代のコモン・ミュージック回( https://spoti.fi/3wiaelQ )】

続いてやすおにも同じ質問を投げかけると、以前はキョンと同様に考えていたが、クイズは「コミュニケーション」だという自身の思いもあってか最近は、「正解したい」または「正解してもらったら嬉しいだろう」といった点で「回答者」の存在を考慮すると、これまでの考え方に「ちょっと」疑問を感じ始めていました。

この回答者という存在を踏まえたやすおの考えの変化についてキョンに尋ねてみると、出題する曲を出題者自身が「何も分からない」状態を繰り返すのならば「ちょっと違う」と感じるものの、出題者の意図がはっきりとしているのであれば、キョンとしてはそのような問題群を「打ち返したい」とのこと。

ここでソキウスは、その「打ち返したい」という思いを「一定数の参加者」が持っていたとしても、回答者という属性全体にその考えを拡張させることは出来るのかと質問。キョンとしては自身のこのような考えを共有している場を想定しつつも、回答者全体としては「一般的ではない」だろうし、そのようなクイズ行為は「変わり種」でない限り「不向き」だろうという意見です。

さらにソキウスは以前のキョンが言及した、回答者側からの価値の発見について今回のテーマに即した形で尋ねてみると、その点はかなり「限られたシーン」でのことでした。

次にソキウスはここまでの話を広げる形で、クイズにおいて「正解」することの意味がどのように見積もられているのかを対話の中心に置きます。

この点についてやすおは、回答者という「情報の受け手」の「姿勢」が送り手側に全て伝わっていれば問題ないが、現実的に考えてそのようなことはほぼ発生しないので、クイズというゲームを成立させるためにある「ルール」の影響と、キョン的な「挑戦」よりかは一般的であろう「正解できると嬉しい」感覚を議論の始めに置く方がいいだろうと考えています。

キョンもルールの影響について言及したのでここでソキウスは、クイズ文化に関する議論の前提の一部をここで導入します。それは「実力のゲーム」と「偶然のゲーム」というゲームの分類[井上 1977]をクイズというゲームにも導入したもの。[石田 2003]

クイズはこの両方の分類の二重構造を取るが、そのゲームを成り立たせるルールという点では、「『問い-答え』形式」という『統一ルール』」[石田 2003: 11]以外の細かいルールを出題者がそれぞれ設定する点で他のゲームとは違うということが挙げられています。

なおこれらを踏まえた上でソキウスとしては、かつてのクイズ研究会的文化での「難問ブーム」期当時に、難問と正解の関係を当事者がどのように捉えていたのかが気になっているようです。

続いてソキウスは、以前の回での「イントロクイズである必要性」を今回のテーマと繋げてキョンに問いかけます。

【参照:音源量回(後編)( https://spoti.fi/3637Nco )】

キョン自身は正解が全く出ないクイズの場でなされることは「雑学」を受容する態度に近くなると関連付けるようですが、総論として考えるとこのようなクイズは「必ずしもイントロクイズである必要性は無い」とし、音楽を用いたコミュニケーションの「手段の一つ」としてクイズを捉えると回答。

それを受けてソキウスはイントロクイズ出題者とある意味では似通った存在である「DJ」をここで話題に出します。

ソキウスは自身が音源量回で言及した、出題者と回答者との間にある「矢印」の論点をイントロクイズとDJ行為との差としても適用し、「もし『手段の一つ』としてイントロクイズを捉えるのであれば、そのコミュニケーションはDJ行為でもよいのでは?」というこの論点から派生した質問にどう答えるかをキョンに尋ねます。

この問いにキョンは、自身の「(社会)環境」の影響で今イントロクイズを行っており、DJというものに近い環境に属していたらそちらを選んでいただろうと応答。そして自身の周囲にイントロクイズを行っている人が存在したことで、「イントロクイズって、やっていいんだ」となったことを語ります。

この回答を聞いたソキウスは、イントロクイズという遊びをさらに外部に広めていこうとするその「対外戦略」にもこの話は繋がるかもしれないと一言漏らします。

【参考:イントロクイズの「対外戦略」が話題に挙がった「競技スタイル」回( https://spoti.fi/3FTRFrf )】

「正解が全く出ないイントロクイズはありか」という論争的な問いを基に対話を進めてみたところ、そのグラデーション状のあり/なしの中での立ち位置には明確な差はあるが、どちらかといえばありだろうという意見が出発点となったこの回。しかし、クイズ/イントロクイズの場で期待されているであろうことや、そのゲームとしての性質を考えてみると、その「あり」に至るまでには非現実的な前提が必要になるだろうということが見えてきたのもあって、そこからさらに対話の内容が発展していきました。

今回挙がったような「どのような形でイントロクイズは成り立っているのか」、そしてその問いを踏まえた上でのDJ行為との違いや「対外戦略」といったこの問題意識は、今後も「クイズ文化」に関するアカデミックな議論の蓄積を踏まえながら引き続き考えていきます。

【本日の一曲】

毎回最後に1分以内で今紹介したい1曲を持ち回りで語ってもらう「本日の一曲」。

今回はやすおが、「アニラジ」的な要素もある楽曲を紹介。

「水曜日」の夜にぜひ聴きたい一曲です。

【参照:ラジオ回( https://spoti.fi/2Xuokls )】

【今回のキーワード】

出題価値/クイズでの正解/「クイズはコミュニケーションである」/出題者と回答者/ルール/「実力のゲーム」と「偶然のゲーム」/クイズ研究会的文化/DJ/社会環境/ゆうときょうか

【参考資料】

井上俊, 1977, 『遊びの社会学』世界思想社.

石田佐恵子, 2003, 「『クイズ文化の社会学』の前提」 石田佐恵子・小川博司編, 『クイズ文化の社会学』世界思想社, 1-20.