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本日のプレイリスト:https://spoti.fi/3iFRbKy

(今回のメンバー:キョン、ナル、ソキウス)

馴染みがない我々なりに「Remix音源」をたどたどしく語ることにも意味があるはず。

「イントロクイズの出題範囲」回へ向けて、これまで様々な音源について考えてきましたが、今回取り扱うのは「Remix音源」。

二つの文化をキーワードに、Remixならではの厄介な論点も交えながら語っていきます。

【(参照)出題範囲回へ向けて:「off vocal音源」回( https://spoti.fi/3l24fLG )、「カバー曲考」回( https://spoti.fi/3rapeA5 )、「インスト曲」回( https://spoti.fi/3sdUkqI )】

まずはRemix音源に対して抱いているイメージを、Coverのそれと比較する形で質問。

ナルのRemix音源へのイメージは、原曲を「ねじって」「大胆にアレンジ」したもの。

キョンは、原曲とは違った「趣向」で、その楽曲を「新たな方向性に導く」ようなもの。

さらに、自身にとっては音楽ゲーム(音ゲー)という存在と切っても切り離せないと語りました。

一方Cover音源だとナルのイメージは、原曲とは違った歌手が歌い、「別の曲調」にしたり、そのカバー先の歌手が持つその人ならではの「感じ」を付加したもの。これは、Remix音源は原曲と「アーティストが同じ」だと考えていることとの対比であり、そのようなイメージでの理解は、ナルにとっては「一般的にそう」だろうと捉えています。

キョンもナルの考えと近いところがあり、Remixは「曲調は違うが」「原曲と同じ人が歌っている」もので、Coverは「歌ってる人が違う」ものと回答。

この二人の回答に共通しているのが、CoverであれRemixであれ、原曲とされるものとの同一性の程度で両者を捉えているということ。後にこの視点は、どちらかというと「ライブ文化」的な考え方をRemixにそのまま導入したものであり、「ディスク文化」的な考え方ではないということが示されていきます。

これらのイメージを受けてソキウスは、そのような音源のあり様がどのように記述されているのかを事典から引用。

Cover音源の記述[Witmer & Marks 1986]・Remix音源の記述[ヲノ 1995]のどちらに対してもキョンとナルは「ほぼイメージどおり」と回答しました。

続いて、このメンバーにとっての普段の音楽生活でのRemix音源との向き合い方を確認してみました。

ナルはカバー曲と同様に「ほとんど聴かない」と答えたのでその訳を尋ねてみると、以前自身が挙げた「原曲主義」の考え方から、Remix音源を「意識的に聴いたり」することをせずに「原曲自体を聴きたい」とのこと。

【参照:「コピバン」楽曲しか出ないイントロクイズ回( https://spoti.fi/38BKTKJ )】

さらにナルはイントロクイズの場でRemix音源を出題することは、「イントロが原曲と違う」といった理由で「あんまりおススメ出来ない」という考え。イントロクイズの場でそのような音源が出題された際にナルは、Remix音源という作品の捉え方をする以上に、「自分の知ってる曲っぽく聞こえる別の曲」かと思い反応するのをやめるという原曲との同一性の意味で、「原曲とまず違う」感覚になることも明かしました。

キョンは「一般的な」J-POPやアニメソングのRemixを聴くわけではないが、音ゲーでのRemixは「それなりに」聴いている様子。その程度の差が生まれる理由としてキョンは、そのRemix自体が好きな場合ももちろんあるが、「実機でプレイするときにより思い出しやすいように」聴く、要するにほぼ「音楽ゲームでのプレイありき」での聴き方であることを語りました。

ここでソキウスはキョンにも原曲とされるものとRemix音源とでの態度の差について質問すると、キョンは「外見からRemix ver.って分かるもの」は「最初から聴かない可能性」があると回答。

Remix音源で「頭の中を占めさせたくない」と考えるキョンが、そのような音源を「聴いた方がいい」と思うようになる理由として挙げるのは、キョンが考えるRemix音源の「面白さ」「付加価値」があるかどうか、つまり、リミキサーの人となりや音楽性が現れているかや、Remixをするに至った「経緯」が見えるかどうかが重要だからだとのことでした。

この2人の考えを聞いたソキウスは、音楽作品の「真正性」[Thornton 1995]を何に置いているのかという観点でこの回を進めていこうと、増田の議論[増田 2005]を参考にしながら、Remix音源を考える上で重要になる二つの文化の存在を対話の俎上に載せます。

いわゆる「クラブ・ミュージック」のような楽曲作品が依拠している文化は、特にこのメンバーでは支配的であろう「ライブ」という行為を中心に据えるものとは違うという議論の中で登場するのが、「ライブ文化」と「ディスク文化」という二つの文化。

ライブ文化における作品は、作曲者→楽曲→演奏者→演奏→聴取者という流れで送り手から受け手に伝わるが、ディスク文化における作品は、レコード⇔聴取者(含DJ)という送り手と受け手との相互作用で伝わるということをここで提示。[Thornton 1995]

Remix音源は、「ライヴ文化的言説と、 (中略) ディスク文化との衝突点に位置している」[増田 2005: 78]というその独特な性質を踏まえて何を考えるか改めてソキウスは問います。

ここで先ほどキョンやナルが述べていたライブ文化的な「同一性」(Remixへ至る「経緯」なども含む)と、ディスク文化での「音素材」[ヲノ 1995]の効果的な変容は焦点が違うのではないかということが改めて問題に。ディスク文化的な言説で登場する「ベストにあがったものをいじり直す」[増田 2005: 75]といった言葉も用いながら、ここから対話は(ライブ文化から見れば)一種の「異文化」体験の様相を呈し始めます。語り方にたどたどしさは残りますが、その過程をぜひ一緒に体験してみてください。

最後にソキウスはこのテーマの難しさは今回挙げたものだけでなく、例えばディスク文化的な作品と「パフォーマンス」という言葉との関係を挙げながら、そもそもこの「作品」という概念はもっと複雑なものだろうという論点を提示。(cf. 増田 2005)

次の出題範囲回シリーズは、とても「厄介」な存在である「生活音」を取り挙げる予定です。

【参照:「オールジャンル」の難しさ回( https://spoti.fi/2X1JNBO )】

【本日の一曲】

毎回最後に1分以内で今紹介したい1曲を持ち回りで語ってもらう「本日の一曲」。

今回はナルが、この番組では二度目の登場となる作品内ユニットの楽曲を紹介。

ナルのディスク文化的なものとの接し方…?

【今回のキーワード】

Remix音源/カバー曲/「原曲主義」/音楽ゲーム(音ゲー)/クラブ・ミュージック/ライブ文化とディスク文化/生活音/BiBi

【参考資料】

増田聡, 2005, 『その音楽の〈作者〉とは誰か――リミックス・産業・著作権』みすず書房.

Thornton, Sarah, 1995, Club Cultures: Music, Media and Subcultural Capital, Cambridge: Polity.

Witmer, Robert & Anthony Marks, 1986, "Cover.," H. Wiley Hitchcock and Stanley Sadie eds., The New Grove Dictionary of American Music, Vol. 1, London: Macmillan Publishers Limited, 519-520.

ヲノサトル, 1995, 「リミックス」, 200ロック語事典編纂委員会編『200ロック語事典』立風書房, 129.