本日のプレイリスト:https://spoti.fi/3nT1gpW
(今回のメンバー:キョン、やすお、ナル、ソキウス)
クイズは○○なので、誰だって出来る!?
今回は、前回( https://spoti.fi/3CcWr34 )に引き続き「クイズ王からの『難問』」として、西村顕治氏のコラムの内容を基に対話を進めていきます。
後編では主に、クイズが持つであろうある種の正反対な性質と、前編でも話題に挙がった「『入口』としてのクイズ」、そしてそこから派生した「知識の『量』を測るツールとしてのクイズ」について扱います。
まずソキウスはキョンに、「クイズは誰でも出来る遊びか」どうかを質問。
これに対しキョンは、「人種」や「階級」で制限されるものでないという意味では誰でも出来るだろうが、「そこから先の」クイズを「楽しむ」段階においては誰でもではないだろうと回答。その理由として、「新しいことを知ることに興味がない人」や、新しいことを知ろうとしても、自身の「脳内のキャパ」を「越え」てしまい、それらを知ることへの拒否反応から、新しいことを「吸収しきることが出来ない」事態の存在を挙げます。
この回答にソキウスは、生理的な要素だけを用いて一元的な基準で出来る/出来ないを判断することの危険性を一言残しました。
【参照:音楽生活の調査回≪対話編≫(後編)( https://spoti.fi/3nUDUQM )】
ここでソキウスは、キョンに投げかけた質問をコラムの内容と対応させます。[西村 1993]
その中では、確かに「出題の幅が広い」クイズという遊びに飛び込もうとすることは一見「難しく見える」が、そのクイズにはある物事の「断片的」な部分しか切り取ることが出来ないという性質がある以上、「個々のジャンルの中で見れば、どの問題もそれほど難易度は高くない」ので、クイズは「誰にでもできる」遊びだと述べています。
併せて、クイズが持つ「広い範囲を見ておく必要」性についても、わざわざ「苦痛を感じてまで無理に記憶する必要」は無く、「忘れるということは心に残らなかった」のだから「覚える意味はない」だろうと、「やみくもな知識欲」を持つプレイヤーに対して疑問を投げかけています。
この引用部分に対してキョンは、クイズに強くなることへの欲望よりも、「自分が好きだからこそ、物を覚えたい」し「クイズに答えたい」という欲望の方が強いという自身の態度について語りました。
続いてソキウスは、このコラムの内容と以前の音楽生活の調査回で扱った「趣味の社会的側面」とを関連付けさせます。
それは各々が何かを好きなものとして選び取ること自体が、その人が持つ「文化資本」によって、ある文化をそもそも受容できるかどうかも決まってくるということ、そしてそれだけでなく、その後の体験によって「ハビトゥス」が形成されていくということ。
これらのことを踏まえるのであれば、その性質として「断片的」であっても「広い範囲を見ておく必要がある」クイズを行う上では、その時点で自身が好む可能性の対象としてそもそも受容してこなかったものも、各々のハビトゥスのあり様によっては「見ておく」必要があるということ。そしてその状況に対して「苦痛を感じ」ることがあるクイズは、そこまで誰でもできる遊びだと言い切ることが出来るのかということをコラムの内容を発展させる形でキョンに問いました。
(ここでの「苦痛」は、後述する「知識の『量』で階級づけ」するツールとなっているクイズが「教育システム」的なものと結びつくこととも関連がある。)
これに対してキョンは、「知識の無い人はいない」という言葉で、誰でもできるの中でも(ソキウスが言うところの、ここまでの内容とは「相容れない」ような)物理的側面を強調。また社会的側面については、「多様性の無いようなクイズ」などの言葉を使い、クイズ形式の可能性の観点から自身の考えを説明します。
そしてナルにも同様の質問をすると、クイズをする人が「楽しめるかどうか」という意味での「感性」の観点で応答しました。
この2人の回答については、今後配信予定の「クイズ文化」に関する回での内容と結びつけることで引き続き考えていきます。
【参照:イントロクイズにおける「正解」の必要性の回( https://spoti.fi/3PN9ooJ )】
この回の最後にソキウスは、前編でやすおが挙げていた「入口」としてのクイズの論点を、コラム内での「ゲートウェイ」という言葉と照らし合わせます。
その中ではクイズが取り扱うジャンルの幅広さは、各々が「もっと探ってみたいことを見つける機会」を見つけるものとして捉えたいとしている一方で、「入口」の性質と表裏一体のものとして、「断片的」な知識を「量」で「階級づけ」するその「受け皿」にもなっているという性質を併せて述べていました。
以前引用した「暴力性」の論考[伊沢 2020](とそれの「アップデート」[伊沢 2021])を参考にするのであれば、この「受け皿」の性質は、知識の「量」の多さで人を「選抜」するシステム(=「分断的な要素」としての「学歴主義的な社会状況や正解至上主義の教育の影響」[伊沢 2020: 76]=ソキウスの言う「教育システム」的なもの)によって「階級」が決まることを「忌避」する人が「少なからずいる」ことと結びつきやすいだろうというのがソキウスの考え。
【参照:クイズにおける「座学」と「暴力性」の回( https://spoti.fi/3cesvWf )】
今回はひとまずこのシステムの存在に触れた段階で終わらせ、ソキウスはこのシステムについて何を考えたかをキョンに尋ねます。
これに対してキョンは、そのような階級づけの性質をほぼ前提とした状態で、クイズが持っているであろう階級付けの性質の「効果的な運用」の仕方についての考えを提示。
今回の対話ではそのようなシステムを持つクイズのあり様についてまでは論点とならなかったので、ソキウスはやすおとの対話のときと同様に、階級付けの性質が「教育システム」的なものと結びついている可能性について言及し、その点を「クイズ文化」の回のさらにその先の回で「教育システム」的なものを扱うことで、この「あり様」に迫りたいということを今後の指針として残しました。
今後はこの「難問」をステップに、他の様々なテーマへと繋げていきます。
【本日の一曲】
毎回最後に1分以内で今紹介したい1曲を持ち回りで語ってもらう「本日の一曲」。
今回はキョンが、時を越えて現実にも影響を及ぼした楽曲を紹介。
「ネタ」の扱い方が上手い人たち?
【今回のキーワード】
「やみくもな知識欲」/「誰でもできる」趣味/趣味の社会的側面/文化資本/ハビトゥス/「入口」としてのクイズ/知識の「量」を測るツールとしてのクイズ/教育システム/ゴールデンボンバー
【参考資料】
伊沢拓司, 2020, 「クイズの持つ『暴力性』と、その超克――いかにしてクイズ文化を理解してもらうか」『ユリイカ』青土社, 52(8): 74-84.
――――, 2021, 『クイズ思考の解体』朝日新聞出版.
西村顕治, 1993, 「『やみくもな知識欲』で8センチCD-ROMになろうとしているプレイヤーたちへ」『is』ポーラ文化研究所, 60: 33.