Title:『高位の債務』
1975年10月4日、モーリシャス島で行われた法話です。
ŚB 1.2.6
स वै पुंसां परो धर्मो यतो भक्तिरधोक्षजे ।
अहैतुक्यप्रतिहता ययात्मा सुप्रसीदति ॥ ६ ॥
sa vai puṁsāṁ paro dharmo
yato bhaktir adhokṣaje
ahaituky apratihatā
yayātmā suprasīdati
全人類にとっての至高の職務(ダルマ)とは、超越的なる主に愛を込めて献身的に仕えることができるようになる手段のことである。完全に自己を満足させるためには、そのような献身奉仕が不純な動機を持たず、途切れることなく行われなくてはならない。
ー内容からー
人間の人生のというのは快適に過ごすためにあります。そして、絶対真理は何かを理解することです。私たちの人生はいったいなんだろう?、人生の目的はいったいなんだろう?このようなことを理解するためにあります。豚や犬も死にます。そして人間も死にます。
しかし、わたしたちは人生の目的、ゴールはなんであるかを理解できます。しかし、豚や犬には理解できません。ですから、ヴェーダンタスートラの始めの格言に、人間の人生としての忠告があるのです。人間としての体がどこではじまったかということは問題ではありません。アメリカであろうとインドであろうとどこで体を得たとしてもそれは問題ではありません。人生は人生です。ですから、人間のやること、それは絶対真理に対して問うことです。それが幸せへの教えです。ですから、わたしたちはこの人間社会の中で宗教の姿というものをみつけます。それがキリスト教であろうと、ヒンズー教、イスラム教でも構わないのです。人間ですからなんらかの形の宗教があるはずです。その宗教とは何でしょうか?