Title:『目に見えない体を精神化する』
1972年9月6日、インド、ニューブリンダーヴィンで行われた法話です。
ŚB 1.2.8
धर्म: स्वनुष्ठित: पुंसां विष्वक्सेनकथासु य: ।
नोत्पादयेद्यदि रतिं श्रम एव हि केवलम् ॥ ८ ॥
dharmaḥ svanuṣṭhitaḥ puṁsāṁ
viṣvaksena-kathāsu yaḥ
notpādayed yadi ratiṁ
śrama eva hi kevalam
自分の立場に応じてしていたとしても、人格神の教えに対して魅力を掻き立てられないような職務なら、それはまったく無益な労働にすぎない。
ーー 法話の内容から ーー
希薄な体は解脱したとき、解放された時になくなります。この解脱した時、この希薄な体からも解放されます。精神的な体を得て、精神的な王国へと移動します。ですから、この物質的な体に入っている間に希薄な体のほうを教育し、完全に精神化されるように教育しなければなりません。この希薄な体というのは、心と知性と偽のエゴでできています。わたしはアメリカ人だ、インド人だ白人だ、黒人だ、人間だ、動物だ、自分はこれだ、あれだと考えています。この私は何であるか、これが変わらなくてはなりません。わたしは神の永遠なる僕であると変わらないといけません。
もし、このようにしてこの希薄は体の行動に教育をつけて心と知性と偽の自我でできた希薄な体を教育するならば、死んだ時にこの希薄な体を置いて、残して、そして、あなたは精神的な体を得て、精神的な神の王国に戻ることができる、これがクリシュナ意識運動です。
目に見える体は自動的に離れます。ですから、どうやって私たちは希薄な体を去るか、離れるか、そこを修練しないといけません。この希薄な体から離れるためには私たちは、神への愛を育まなければなりません。プレマとよばれるものです。
どうしたら、この希薄な体を離れることができるかというプロセスがあります。